浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第272回】DX時代の「同じ釜の飯を喰った仲間」アルムナイAlumni

 9月。米国生活での特記すべき思い出はわが子の大学入学だ。

と言っても、日本のような父兄の式への参加は無かったがー。日本の高校途中から米国に渡りまだ二年のわが子がNYCマンハッタンの大学に入学した時に学んだCulture Gapはその入学システムだ。

大学入試には日本のような全国一斉試験がない。代わりにSAT (Scholastic Assessment Test)など民間企業による全国統一のテストがある。それから高校の成績、エッセイ、推薦状、課外活動の報告をし、面接だ。その過程での主題は「如何にユニークであるか」だった。

 そして、4年間の大学生活が経過。(3月ではなく)5月、いよいよハイライトは卒業(式)だ。卒業とはGraduation(等級が上がる)と言うより、Commencement(新しい人生キャリアの『始まり』)と言う方が如何にもふさわしい未来への「挑戦」だ。

今までの親がかりの生活を「卒業」し、親元から一マイルでも遠くに飛びたっていくとも言われている。 

場所はマンハッタン、Greenwich Village。郊外の大学に見られる広大なキャンパスは無く、隣接する「ワシントン広場*」に集う。Cap & Gown姿で晴れ晴れしく、皆でCapを青空に投げ、歓談、記念写真大会でもあり、忘れられない青春の思い出。親・保護者にとっては「一仕事終えた」という万感の思いだ。

ワシントン広場でCommencementを祝うホヤホヤのAlumini

とまれ、卒業後の新しい人生での記録として同窓会Alumniアルムナイが形成される。Alumnusの複数形だ。元々は男性名詞だが今は男女平等の世界。他方、Alumnaは元々女性名詞で複数形はAlumnae。「OB/OG会」も今や男女別表現で適切ではないようだ。 

 

さて時は経ち、現下、新型コロナ禍発生以来二年半。会議やシンポジウムなど「対面」が避けられ「リモート」でという事態が続き心は重い。そんな折、久しぶりで「リアル」の人材教育展に参加した。(Human Capital2022、7月13~15日。 於:東京国際フォーラム 

時節柄、例年のような来場者が満ち溢れてとはいかないが、それでも「志を同じくする仲間」。久しぶりの旧友、知人、はたまた新しい出会いもあり、楽しく有意義だった。

 会場で、「脱日本型雇用」「人的資本経営」「未来人材」などのテーマが多い中、「?」と少々驚いたのが、「アルムナイの活用」と題する公開セミナー。

「大手企業が退職者『アルムナイ』と関係を維持する目的とその方法」とある。

又、月刊「経団連」6月号に「人材流動化とは」解説に若き代表が登場。「アルムナイ(退職者)の価値転換。ネットワーク形成により『損失』から『資産』へ」と記している。

月刊「経団連」6月号 p34 鈴木仁志氏

 前述のとおり、アルムナイalumniとは(主として米国における)大学の卒業生、即ち「同窓会」だ。その「(一旦)退職者」をCloud Systemに乗せて「再活用」しようというVenture挑戦なのだ。 

現代ビジネス社会が終身雇用・年功序列という時代ではなくなったのは旧世代人間にもわかる。が、他方、「同じ釜の飯を喰うdrink from the same cap (マルコ14章23節)」といった言葉にも大いなる未練があるし、更にまた、温故知新learn from the pastのようなアナログ的思いを今後の日本企業にも維持できないものか。

とすれば、「DXとAlumni」の組み合わせは注目に値いする。

 

 (一社)在外企業協会「月刊グローバル経営」2022年9月号の拙稿より転載、加筆

関連拙稿:

【第124回】GIGA構想に期待する「世界と共に」 - 浜地道雄の「異目異耳」

 

*余談ながら、ワシントン広場にある凱旋門レリーフはパリ、NYCと活躍した長野県佐久出身の彫刻家川村吾蔵(1884~1950)の作であり、思いはやはりそんなグローバ先達に翔ぶ。

ニューヨーク、ワシントン広場の平和凱旋門の共作者、ロダンの誘いを断った川村吾蔵とは?