浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第214回】澤地久枝さんの「わが人生の案内人」⇒ 遠藤三郎翁

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澤地さんの「わが人生の案内人」(文春新書)

 

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澤地久枝さんと鳥越俊太郎さん(国会前)

 

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遠藤三郎翁の生前設立墓碑


澤地久枝 さん:

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784166602568

1930年、東京生まれ。1963年、「婦人公論」編集次長を最後に中央公論社を退社。作家五味川順平氏の資料助手の経験から処女作「妻たちの2・26事件」が生まれる。(同書紹介から) 

「9条の会」の発起人の一人として、今もお元気に平和運動の先頭にたっておられる。 

その澤地久枝さんの「人生の案内人」の一人が、遠藤三郎(元)陸軍中将。同書の「『閣下』と呼ばれた人」(p84)はこう始まる:「電話のベルが鳴る。受話器を取ると『久枝さん?』ちょっと語尾をあげて、いたずらっぽい笑い声」。「それが遠藤さんからのいつもの電話。『あのな――』と本題に入る。思えば不思議な縁で思わぬ人に愛されたと思う」――と続く。 

澤地さんは、五味川純平氏の資料助手となり(昭和38年秋)、昭和の軍事史について必至の勉強をはじめ、万端五味川さんからきびしく仕込まれた、とのこと。その過程において、20年を越える親交をもつことになったのが、遠藤三郎氏。(1984年、昭和59年10月11日、没) 

その遠藤三郎翁=「日中友好軍人の会・遠藤三郎中将」とのことを知った筆者は昨2020年9月、遠藤翁のご自宅(狭山市)を訪ね、ご令嬢十九子(トクコ)さんの親切なご説明を受けた。 

そこには翁が残した自然石にこうある。「軍備全廃を訴え続けた元陸軍中将遠藤三郎茲に眠る」という生前建立の墓碑だ。 

さて、その遠藤三郎(元)陸軍中将が国会に参考人として招致された記録がある。第19回国会 衆議院 内閣委員会公聴会 第2号 昭和29年4月14日                    「防衛庁設置法案及び自衛隊法案について」                                                             委員長 稲村順三君                                                                                                     出席公述人農業 (元陸軍中将) 遠藤三郎君

https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101904914X00219540414/9

「私はこの問題(注:国連主体の安全保障)は今急に考えたのじやございませんので、昭和二年ジユネーヴで行われた海軍軍縮会議に出席したときから頭におぼろげながら浮びつつあつて研究を続けて来ておつたのであります。その後フランスに留学中、オーストリアのクーデンホーフェ氏が欧州連邦ということを唱え出しました。その説を聞いて、私は非常に感銘したのでありますがーーー」。 

ここに記されてるのが「EUの父」クーデンホーフ卿(日本名栄次郎)だ。https://hamajimichio.hatenablog.com/entry/2020/10/12/000000                                     時空を越えての広がりーー!!

 

「関連、後日稿」

【第260回】日中友好元軍人、沖松信夫氏を偲ぶ会 - 浜地道雄の「異目異耳」

 

参考:

1)遠藤翁の思いは「日中友好8.15の会」(日中友好元軍人の会)沖松信夫代表に引き継がれている。 写真は南ユタ大学のMathew Eddy教授の「平和映像」インタビュー終えての沖松氏(平和教育家、浅川和也氏と共に)。熊谷市のご自宅にて、2020年8月

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遠藤三郎翁の想いを継ぐ沖松信夫氏(最後の特攻隊)



2) https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/22407/

毎日新聞