浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第366回】 天皇・皇后訪英に想う ~ 若き日の上皇の世界訪問

6月22日~28日、浩宮徳仁(ひろのみや・なるひと)天皇と雅子皇后が国賓として訪英中。

25日、天皇はバッキンガム宮殿での晩さん会で「悲しむべき過去」にも言及しつつ、両国関係の更なる高みを、とスピーチをした。

なかで、祖父(昭和天皇)や父上(明仁あきひと上皇)が過去女王陛下(エリザベス二世)に招かれた栄誉にも言及した。

 

報道解説によるとこの国賓訪英は当初2020年に予定されていたがコロナ禍より延期されたとのこと。

この点、いささか残念と筆者(浜地)は思う。というのも、英君主として歴代最長70年間在位したエリザベス二世女王が逝去したのは2022年9月8日、96歳。直前まで公務にあたられた由。

つまり、コロナ禍が無ければ、天皇・皇后はエリザベス女王二世に逢うことができたのだ。

1953年(昭和28年)、若き日の父明仁皇太子(当時)は、19歳でエリザベス二世女王(27歳)の戴冠式に出席、その前後の航海も入れて7か月に亘る初めての海外訪問を経験し、グローバル社会に向けて最初の貴重な経験をしたのだ。

エリザベス女王に誘われてダービー観戦の皇太子 (Share News)

 

実は筆者はその出発にあたり、母に連れられて、横浜港でのプレジデント・ウイルソン号出航に見送りに行った覚えがある。1953年と言えば、何と10歳とあって勿論その意味、意義を理解していたはずはなく、長じて知った次第だ。

そして、記録によれば6月2日の戴冠式を終えた明仁親王は、欧州各国を回り、それから再度米国経由航路で帰国、7か月、14か国訪問の旅を終えた、とある。

1953年(昭和28年)に、当時の皇太子がエリザベス女王の戴冠式に出席するため訪英した際の記録を探し... | レファレンス協同データベース

 

親王はスイスも訪問し、ベルンの日本大使館においてEUの父」クーデンホーフ・カレルギー(栄次郎)伯爵と会ったのである(萩原大使も同席)。

【第119回】Fraternity 友愛 〜 欧州連合の原点 | ISF独立言論フォーラム

皇太子(当時)とクーデンホーフ(栄次郎)伯爵

 

だが、時は移る。

その英国(UK)はEU欧州連合を2020年1月31日離脱した。Brexit=Britain/Exit ブレグジット

クーデンホーフ(栄次郎)伯爵が嘆く声が聞こえてくるようだ。

 

そして、現下の混迷の政界情勢。つくづく思うのは「皇室外交」への期待:

・「帝室は政治社外のもの」 (福澤諭吉「帝室論」)

・「王は君臨すれども統治せず」(英国流)

昭仁親王(当時)は、又、小泉信三慶應義塾長から、ジョージ5世伝の原文を音読で教わり、帝室論の講義を受けたとのこと(6月26日毎日新聞「余録」)。

 

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