2019年11月1日
ウィーンのPAN・EUROPA事務所にて |
本年5月、筆者はプラハとウィーンに、クーデンホーフ=カレルギー伯爵、Graf Richard Nikolaus Eijiro Coudenhove-Kalergi (1894〜1972)の足跡を訪ね、業績を偲んだ。
この“Eijiro”(栄次郎)とは、欧州連合(EU)構想の先駆けとなった「汎ヨーロッパ運動」を提唱した同伯の幼名で、すなわち、同伯は日本生まれ。母の青山光子は、クーデンホーフ光子 (1874~1941)として知られる。
明治10年代後半、少女だったミッコは紅葉館で奥女中として働き、行儀を見習った。紅葉館とは存外知られてないが東京·芝にあった高級料亭。1881年の設立で、当時、国賓や外国の外交官を接待するための社交場として使用されたが、1945年東京大空襲で焼失した。
ミツコは、当時のオーストリア=ハンガリー帝国の駐日代理大使として東京に赴任してきたハインリヒ·クーデンホーフ伯爵に見初められ 1893年結婚。日本初の国際結婚と言われている。その住居跡の碑が東京·市ヶ谷納戸町にある。96年、夫の祖国であるオーストリア=ハンガリー帝国へと渡り、生涯帰国することはなかった (1941年8月27日、ウィーンにて没)。
さて、栄次郎.クーデンホーフ伯の著書「PAN·EUROPA」を日本語に翻訳したのが、外交官の永富守之助。1922年にドイツの首都ベルリンに赴任して、同伯の「汎ョーロッパ」の論説に感銘を受け翻訳、27年に国際連盟協会から出版した。同年、鹿島建設の鹿島家へ婿入りし、鹿島守之助(後、鹿島建設会長)となる。外務省を退官した守之助は57年「汎ヨーロッパ思想」に即し、「汎アジア思想」の具体化のため、国際平和と安全の研究機関「鹿島研究所」(現:鹿島平和研究所)を設立した。67年、同所から第1回「鹿島平和賞」がクーデンホーフ伯に贈られ、その受賞のため初来日した同伯は「日本が世界平和を担う運命にあり、それは世界唯一の平和主義的な「日本国憲法」がそのようにしている」と謝辞で述べた。鹿島が翻訳·出版したもの等を整理して、鹿島研究所出版会(現:鹿島出版会)から『クーデンホーフ·カレルギー全集』全9巻が刊行されている。
この大部(高価)な論文に大いに感動したのが当時高校生だった寺島実郎氏。氏は鹿島会長に手紙を書き、寄贈を受け、それが現在ある寺島文庫の原点と聞く。
クーデンホーフ伯の日本との関係において欠かせないのが政治家、鳩山一郎。同伯の著書『Totaler Staat Totaler Mensch』、英訳『The Totalitarian State against Man』そのまま訳すと「人間に敵対する全体主義国家」。鳩山はそれを『自由と人生』と翻訳。52年に出版された。クーデンホーフ伯の平和思想に影響を受けた彼は、その中にあった英語 “Fraternity” を「友愛」と訳した。その孫、鳩山由紀夫元総理の「友愛主義」および「東アジア共同体」研究の原点でもある。
ウィーンにあるPAN·EUROPA事務所 (写真) での資料探しは、実はドイツ語が主体で、ひも解くのは苦しい楽しさだった。
JOEA 「月刊グローバル経営:Global Business English File 79」より転載・加筆
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