浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第97回】 アルバニアを生きる 〜 IkonomiとEconomy

 

2015年9月1日

 

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「現代の鎖国アルバニア

かつて、JICA(国際協力機構)の「国際交流」プログラムで来日した若い女性に出会ったことがある。アルバニアから来たとのこと。アルバニア!?バルカンの火薬庫」だ。あの共産主義独裁者のホッジャの国だ。その女性の名前がMariettaと知り驚いた。キリストの母マリアに由来するからだ。あの憲法で宗教を禁止した国にクリスチャン・ネームの成人がいる!!ホッジャの宗教禁止下にあっても「隠れキリシタン」がいたということで、憲法で人の心を変えることはできない、と確信した。

その頃、アルバニアの様子がNHKで放映され、単行本『現代の鎖国アルバニア』(日本放送出版協会、1987年刊)にまとまっている。そこに登場する「人の生きざま」をこの目で確かめたくなった。1987年末、転職の合間を利用して、嫌がる家内を口説いて一緒に東欧の旅に出た。目的の地、アルバニアのVISAはどう取ればいいのかも分からない。ともかく、ウィーンから首都チラナ行きの便に飛び乗った。

1985年にホッジャ亡き後「民主化」されたということだが、街は貧しく、人々は精一杯生きようとしていた。国を破綻に追い込んだねずみ講Pyramid Scheme騒動(1997年)の前である。しかし、英語が通じない。通じると思っていたドイツ語もだめである。ところが若者を中心に何とイタリア語が通じ、家内の出番となった。聞けば、アルバニア国営放送局のテレビはつまらなく、なんとアドリア海の向こうから届くイタリアの放送がカラフルで楽しいと言う。若者はそこから言葉を学んだということだ。なるほど言葉ってそうやって身についていくものだと改めて感心した。

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アルバニアマケドニアの位置(出典:ryoko.info)

さて、件の本に出ていた「日本語ができるアルバニア人」をチラナ放送局に訪ねたが、すでに「米国に移住。ワシントンD.C.VOA(Voice of America)に勤務」とのことだった。時は経ち2004年、ワシントンD.C.に出張の機会があり、VOAに「日本語ができるアルバニア人」を訪ねた。にこやかで温厚な人物。その名をIl Ikonomiという。「英語のEconomy=経済のようだ」と指摘したところ「その通り。ギリシャ正教会における位、財務担当の名称で、祖父が神父だった」とのこと。

ものの本によると、Economics(経済学)とはギリシャ語のoikos「家」+nomos「法」からできたoikonomosという名詞で、The art or science of managing a household = 家政だ。

当時50歳の同氏は「憲法での禁止下にあっても、宗教は生きているのだ」と上手な日本語で応える。日本に行ったことがないのにどうして日本語ができるのか?

中国との関係が良好だった頃、アルバニア政府はエンジニアリング、コンピュータ、金属工学、そして言葉の習得を目的とする40人の留学生を送り込んだ。Ikonomi氏は中国語グループに配置されたが、1976年ごろに両国の関係は悪化し中断した。当時、北京大学には多くの日本人留学生の友人があり、彼らから日本語を学んだ由。ある意味で中国共産党史の一側面の証人ともいえ、興味深い。

言葉の学習、家政、異文化(宗教)と忘れ得ない思い出である。

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Ikonomi氏近影(本人承諾済み)

さて、現下、米中関係が問題になっており、日本にとっても重要事項。1971年中国が国連加盟(=台湾除名)したのは「アルバニア決議」による。 

https://www.y-history.net/appendix/wh1701-033.html

また、1979年ノーベル平和賞をうけたマザーテレサマケドニア生まれのアルバニア人カトリック教徒。

「平和」が切望される反面宗教対立は激化。この最重要事項をイコノミ氏は原体験を通じて、語ってくれよう。

JOEA 「月刊グローバル経営:Global Business English File 58」より転載・加筆

 

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