浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第120回】REIWA 2 に思う温故知新

 

2020年1月1日

 

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朝日新聞社提供

REIWA2(令和2年)と言っても、もちろん global には通じない。とはいえ、暦・年号は日本のみならず世界それぞれの国地域での重要な local 文化だ。

年号が昭和から平成に変わって5年目、1993年の1月7日。NYC マンハッタンにおける日本人会の賀詞交歓会では総領事 (大使) も交えて、例年にも増して和やかに新春を寿いだ。

他でもない、その前日、Washington Post 紙が当時の皇太子浩宮徳仁親王と小和田雅子嬢の婚約内定のニュースを流したのだ (スクープ)。

一同会話も弾み、お神酒の量も増したこと は言うまでもない。その日は昭和天皇の命日 (1989年・昭和64年) であったわけで、孫の慶事を一番喜んでくれるのは、今は亡き祖父 (おじいちゃん) であったに違いないと人間的なことも話題になった。

お2人のご成婚は、その年の6月9日。そして、結婚後、初の外国訪問は翌94年11月。11日間かけて中東4カ国を歴訪し、各国の国王や首長らと面会、友好外交を果たされた。中でも印象深いのは、サウジアラビア訪問。その首都リヤドから西に車で小一時間のところにある「赤い砂漠」でのむつまじいお2人の姿。元 リヤド駐在員の筆者としては、信じられない喜びであった。

この色鮮やかな写真の撮影者、松沢竜一氏 (現在、朝日新聞社編集局 Photo Archives 構築チーム Director) は、当時を懐かしみこう語ってくれた。「砂漠で靴の中まで砂だらけになった。 砂がカメラに入りじゃりじゃりになった。ホテル で現像しようと思った ら、風呂場の水が泥なのかさびなのか茶色に濁っていて、エビアン (Evian) で薬品を溶いた」などなど。

同氏は現在カメラマンを退き、古いフィルムや紙焼き写真のデジタル化に携わる。デジタルカメラ全盛の今、「ネガ Negative Film、暗室 Dark Room を知らない世代がほとんど。銀塩写真のことを知らないと、デジタル化もできないから」と言う。

確かに、時代が進み技術も革命的に進歩。そ れゆえにこそ、温故知新 ーー「昔のことをよく学び、そこから新しい知識や道理を得る」が貴重と言える。意訳してみよう。Keep the old knowledge fresh in mind, and create anew for the future.

他方、「令和」は中国の故事ではなく万葉集から採ったとのこと。「和」はともかく「令」は中々英語にしにくい。BBCorder (命令、秩序) とするなど外国メディアに若干混乱が あったわけで、外務省は beautiful harmony と説明発表をした。

さあ、「美しい令和 2年 REIWA 2」の始まりだ。 

JOEA 「月刊グローバル経営:Global Business English File 80」より転載・加筆