浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第390回】 宣誓で聖書に左手を置かなかったトランプ米大統領

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本2025年1月20日。米連邦議会議事堂におけるトランプ第47代大統領就任式。     「無事(=前回2021年のような議会襲撃事件は無く)」終わった。                         内外で多くのことが報道され、解説されている。

が、一点、奇異に感じたのは同大統領が「宣誓」において聖書に左手を置かなかった。日本では話題になってないが、米メディアで報道されている重要事項だ。

聖書に左手を置くことは憲法の規定ではなく慣習ではある。とはいうものの、宣誓は大統領就任式の最重要集大成であるのにー。うっかり、ということではなかろう。

敬虔なキリスト教徒と自称する同大統領がいくら興奮・緊張したからといってこの重要な(かつ、簡単な)所作を忘れるとは思えない。

ことは些細にも思える。が、これが民主党(バイデン)であれば、トランプは強く罵倒したのであろう。何しろ、ストローが紙かプラスチックかですら大統領令を出すわけだからーー。

左手を待つ聖書 (Reuters)

前回2017年の宣誓(Reuters)


傍らにはメラニア夫人が二冊の聖書*を持って待っているのにーー。

*1つは1861年に第16代米国大統領の宣誓に初めて使用されたリンカーン聖書。もう一冊の聖書は、ニューヨーク州ジャマイカにある第一長老教会の日曜教会小学校卒業を記念して、1955年に母親からトランプに贈られたもの。(準備委員会の発表)

即ち、トランプ大統領は幼い頃長老派教会Presbyteriansに通っていたわけだが、他方、我が日本国石破茂首相も長老派教会に通い、18歳で洗礼を受けている。

これをもって、自身長老派という元外交官で作家の佐藤優氏は、安倍晋三元首相が「ゴルフ外交」を駆使したように石破茂首相にトランプ米首相との「信仰仲間」という関係づくりが考えられる、と記している。東洋経済ONLINE 2024/11/23 )

トランプ大統領が正式となった今、石破茂首相は会談の時期を探っているとのことだが、首相周辺もそれが実現すれば、「トランプ氏と一緒に教会に行く」というパフォーマンスを模索し始めてる、という情報もある。

が、今回の宣誓で聖書に左手を置かなかったということは、ある意味、トランプ大統領特有の「軽率さ」の一例であるという見方もあり、注意を要する。

その「軽率さ」で最も憂慮されるのが「核のボタン」が掌中に入ることだ。

【第372回】米大統領選 ~ トランプ氏に「核のボタン」を持たせてはならない - 浜地道雄の「異目異耳」

 

さて、ニューヨーク・マンハッタンで育ったトランプ氏は、その後父親に連れられてマーブル教会に長年通った。これが敬虔なクリスチャンと自称する根拠である。

が、トランプ氏は心酔し師事した同教会の主席ピール牧師(故人)の後継者・遺族から「破門」されている。

【第109回】ハンバーガー連想 〜White Castle から White Houseへ〜 - 浜地道雄の「異目異耳」 (拙稿、下段)

 

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