浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第387回】 グアム島日米戦跡(1941~45)に想う

いよいよ2024年末。長男家族からの「グアム島訪問」の招きを受け、早めの休暇。12月21日~28日。成田から3時間半の「観光」旅行を実施した。

思えばNYC駐在、居住を終え、成長した男女4人の子供を残し、夫婦で日本に帰国後、二人でグアムに観光したのはもう20年も前だ。

マリーン・スポーツを楽しみ、また、偶々開催中だった全米テニス選手権をも観戦した。

が、そこで発生した問題も忘れられない。入国審査官の質問を受ける。「パスポートの住所は(米国NYCではなく)日本国東京となっている」、「今後共日本に住むのか?」、「或いは近々米国に帰るのか?」。そして、「米国に住まわないということであれば永住権Green Cardは放棄するのか?」と言葉は丁寧ながら詰問調になってくる。結局数時間にわたる聴取の結果「永住権放棄」という選択になった。

今から思えばこんな当たり前の「グアム島は米国領なのだ」ということ。

そして今、話題になっている「沖縄の米軍基地をグアム島に移転(計画)」という報道を胸に抱きながら入国。

ホテルはレジャーの中心、美しいタモン・ビーチを展望する一等地。

マリンレジャーのメッカを(南に)望む

蒼い空、青い海、広がるタモン・ビーチ


だが、齢(よわい)81のジージにはアクアスポーツ、ジェット艇操縦、ダイビングは
おろかサンサンと輝くビーチでの日光浴も適わない。そこで、ビーチの木陰を選び、唯々ごろ寝。孫たちの喜ぶ姿を見ながら、荷物番も兼ねてひたすら腰痛リハビリにいそしむ。

そうしながら、想いはやはりこの南国の楽園において先の第二次世界大戦で生じた日米軍激戦に跳ぶ(関連資料による):

グアム島は1521年マゼランが上陸、その後スぺインの植民地を経て、1898年以後米国領として統治。

・日本軍は1941年12月8日、ハワイ真珠湾に引き続きグアム島を爆撃、2日後に攻略軍を上陸させ占領。

・その後2年余に亘る日本軍政が続く。

・1944年7月21日、米軍の反攻上陸開始。日米激闘。米軍による掃討戦を経て、1945年8月15日終戦

・この間、日本の将兵19,135人、米将兵1,862の戦死。グアム島民の1,123人の犠牲。

観光地としてのグアム島案内はあまたある。

他方、この太平洋戦争にあってのグアム島(はじめ、サイパンテニアンなどマリアナ諸島)における日米軍の悲惨な戦闘については、若い人はじめ多くの観光客で知る人は少ない。が、その戦跡の記録を見ることができる。

旧大宮島(グアム島)の戦跡(1)

 

ということで短い滞在ながら、関連戦跡を訪ねた。

  • まず、車で北へ30分のジーゴ平和慰霊公苑にある慰霊塔。

    慰霊塔 (星条旗、日の丸、島旗)

年に一度合同慰霊祭(日米・仏教・キリスト教)が執り行われるとのこと。

トップページ | 南太平洋戦没者慰霊協会

 

2)そしてホテルから西の丘に登ったところにある砲台跡。

まさに米軍上陸のタモン湾に向けた砲台

その下部アプガン地区に残る日本軍が使用してたと想定される「壕」「空」「防」(微かに右から左へと読める)跡。

朽ちつつある(奥行50mとのこと)
  • そして、島の南部にあるジャングル・リバー。

    ジャングル探訪船

この上流に横井庄一軍曹が28年間孤軍逃亡生活を過ごしたケーブがある。

その横井さんの逞しい生きざまについては子供にも よく理解できるイラストを中心とする自費出版岡田裕子、市民かわら版社)に知ることができる。

長寿萬福 

過酷な人生経験の横井さんから送られてきた力強いひとこととのこと。

 

あっという間の楽しい滞在を終え、年末、夕陽の美しい成田に帰着。

そして、帰宅後、久しぶりの日本のTV、新聞で目に飛び込んでくるのはトランプ(次期)米大統領の世界政策。カナダ、パナマグリーンランドの自国化という戦略。

石破首相はトランプ次期米大統領との面談を模索中。そして、1月8日には被団協との面談。そこで日米(軍事)同盟は? そして、最重要課題は来2025年3月、NY国連本部で開催のTPNW核兵器廃絶条約会議に日本がオブザーバ参加をするのかーー?だ。

【385回】ノーベル平和賞→TPNW核兵器廃絶条約批准に向けて 2024/12/10 | ISF独立言論フォーラム

さあ、新年、終戦80周年へ。事態の行方を注視、監視、熟考しよう。