3月20日。ちょうど20年前の2003年本日、米国(ブッシュJr大統領)と英国(ブレア首相)がイラク侵攻を開始した。
筆者はその二日後、3月22日、その非を強く危惧し、「『異文化国家』との勝利なき戦い」として産経新聞に「アピール」した。
(2003年3月22日産経新聞)
日本ではあまり話題にならないが、イラク侵攻の間違いの根は「カーブボール(元イラク人亡命スパイのあだ名)」だ。
https://isfweb.org/post-16998/
イラク侵攻にあたり、国連で一時間半に亘りその「正当性」を演説したパウエル米国務長官(当時)は「自分の人生で忘れらない失敗」と自叙伝に残している。
その後、イラク国内ではそれまで共存してきたイスラム教スンニ派とシーア派が米軍の占領政策によって分断され、またサウジアラビア(スンニ派の総本山)とイラン(シーア派の総本山)の勢力争いから、シリア、イエーメンでの内戦や、中東各国の不安定化という世界的混乱に至った。
そして今、国連憲章違反の「対外侵攻」は昨年、2月24日の「ロシアによるウクライナ侵攻」がある。が、しかし、本年2月24日、プーチン露大統領は「イラク侵攻の非」を明示し、対ウクライナ侵攻を正当化する理由付けとしている。
振り返って日本。自衛隊と米軍の一体化が進み、集団的自衛権の行使を認め、沖縄の基地が米国の戦争出撃の拠点となるに至っている。
3月18日、イラク戦争20年シンポ(専修大学Iにおけるジャーナリスト布施祐仁氏のプレゼン: 許可済み)のごとく、日本の日米(軍事同盟)下における、武力増強の原点はまさにここにある。
男女四人の子供をアメリカで教育を受けさせた中東(テヘラン、リヤド、バグダッド)駐在、元商社マンの実感だ。
ベトナム侵攻に次ぐイラク侵略。これを、20年前、昔のこととして風化させてはならない。