浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第210回】 グローバル化への必須項~イスラーム文化の理解 (1/2)

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週刊エコノミスト」 2013年10月22日号

グローバル化」「グローバル人材育成」が叫ばれている。
さて、そのグローバル化に不可欠なのが「異文化理解」というのが筆者の強い主張だ。文化=宗教として、異なる宗教の理解=(自分とは)異なる、ということの理解だ。
その点よりして、「週刊エコノミスト」(10月22日号)の「経済と宗教」特集はビジネスマンのみならず、多くの示唆に富む。

そこで、筆者は、西側(含:日本)が誤解をする「イスラーム文化」を中心に、「読者の声」として、投稿し、その要約が本日発売の同誌11月5日号に掲載された。

下記はその「週刊エコノミスト」への投稿原文である:

石油担当商社マン(元)として中東イスラム圏を中心に世界を駆けてきた私が「グローバル時代」の日本(人)にとって必要なのは「異文化」、とりも直さず「宗教の理解」だと痛感します。
その意味で、今回の「宗教と経済(10月22日号)」は貴重であり、「保存版」の価値があります。

ビル・ゲイツ、ウオーレン・バッフェトの「寄付」行為の背景、ユダヤ人の経済的成功の要因など、理解ができます。
中々わかりにくいのが「中国の政教一元化」。
さらに複雑なのが「イスラム教」ですが、「イスラム金融」では、それが米国を中心とする行き過ぎた金融、いわゆる「マネーゲーム」に対峙する「実体金融」だと知ることができます。

塩尻和子教授が指摘の「イスラム信仰と政治的イスラム主義の乖離」は「十把一絡げ」の危険性を説いておられます。
まず、世にいう「アラブの春」論の間違い。砂漠の地にあって、春とは砂嵐の季節であり、西側の概念による「待ちに待った」ということはない。
挙げられた国々には、石油エネルギー事情などそれぞれ多様で、一様には語れません。より重要なこととして「イスラム原理主義=テロ」という短絡視を戒めておられる。
これをもって、本文を読み直すと理解が深まります。

今回は触れられてませんが、注目を集めてるアジア。インドネシアは2億の世界最大のイスラム国。
マレーシアもしかり。イスラム文化の理解なくして、アジアとの友好、ビジネス推進は成り立ちません。
インドにはまた多様な宗教があります。そんな中で、日本が(仏教国であるかどうは別にして)「わが身の肉で布施を行おうとしたウサギ」の心をもってことにあたれば、今までとは違うグローバル・リーダの形が出てきましょう。

 

関連拙稿:

http://voicejapan2.heteml.jp/janjan/world/0806/0806290802/1.php
ビルゲイツとウオレン・バフェット

https://hamajimichio.hatenablog.com/entry/2020/08/10/000000
Jobsの本

https://hamajimichio.hatenablog.com/entry/2020/08/19/000000
アラブの春

【第209回】 日本主導で「オスロ合意」再構築を

 

2013年 10月 13日

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熱く語る(元)交渉担当者



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息詰まる交渉記録



 

真夏日。三連休の今、「オスロ合意検証」での討議も熱い。

国際ワークショップ「オスロ合意再考―パレスチナとイスラエルに与えた影響と代理案―」|NIHUプログラム・イスラーム地域研究東京大学拠点12、13日、於: 東京大学

http://www.kikou.waseda.ac.jp/ias/research/nihu2.php?id=760
14日、於 早稲田大学

世界を揺るがす中東紛争は「パレスチナイスラエル問題」に帰結する、というのが
筆者の長年の強い主張だ。即ち、これの解決なくして、世界の平和はない。

その「共に天を仰がず」のイスラエルパレスチナという敵国同士が和平への握手をしたのが、1993年9月13日の「オスロ合意」である。

この和平合意に至るまでの秘密交渉の行き詰まるような背景を描いたドキュメンタリーが「GAZA FIRST」だ。(Jane Corbin, Bloomsburry Publishing, 1994。邦訳「ノルウェー秘密工作」新潮社、訳:仙名紀)。

その副題The secret Norway Channel to peace between Israel and the PLOのとおり、仲介国は人口500万人の小国、ノルウェー
http://voicejapan2.heteml.jp/janjan/world/0912/0912033966/1.php
(スエーデンが本拠のノーベル賞の、平和賞だけがノールウェイで授与される)

文中にある、イスラエル側交渉担当者だったロン・プンダク(Ron Pundak)氏が12日、登壇した。もの静かな同氏は壇上に上がると大きな身振り手振りを交えて「両者には共存しかない」と熱情的に語る。(本人、主催者許可を得て撮影)

聴衆のパレスチナ人からの「しかし、(イスラエルは)残虐な行為をしてるではないか?」という激高の「論戦」には、ややトーンを下げ、「『だからこそ対話を』と、私は主張している。だからこそ私はいま『パレスチナイスラエル和平NGOフォーラム』の共同代表をしている」と答える。 両者の激しいやりとりに、問題の深さを痛感する。

このオスロ合意は、しかし、スタートすぐにも反古とされ、この20年間行き詰った和平は、いよいよ混迷を深めている。

だからこそ、日本(中立、経済大国、中東市民に好かれてる)が中東和平対話の
リードをすべき、日本こそが「オスロ合意」の再構築を、というのが筆者の「とんでもない」提案である。

そのきっかけつくりは、バレンボイムユダヤ人)と故サイードパレスチナ人)が創設したアラブとイスラエルの若き優れた音楽家の「西東詩集管弦楽団」(2011韓国で演奏をしたがJapan Passing)。その日本公演を何とか実現したい。
http://voicejapan2.heteml.jp/janjan/world/0901/0901115149/1.php

 

【第208回】  中東和平に重大な握手

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オスロ合意 (1993)

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オスロ合意検証



 

2013年9月

 

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イスラエルパレスチナ両大使の握手

この三つの写真は世界を揺るがす中東紛争の根にある「パレスチナイスラエル」の和平という観点からして象徴的である。

上は言うまでもなく、丁度20年前、1993年9月13日、ノルウエイが仲介しての、いわゆる「オスロ合意」におけるアラファットPLOパレスチナ解放機構)議長とラビン・イスラエル首相の握手だ。中に立つのはクリントン米大統領

下は2013年9月28日、東京・品川区の日本UNICEFにおける、イスラエルの新任駐日ルツ・カナノフ(Ruth Kananoff)大使と、パレスチナ駐日ワリド・シアム(Walid Siam)大使との握手だ。
もう一人はロレーヌ・リーヴァイ(Lorraine Lev’y)監督。その映画「もう一人の息子、原題:La fils de l’Ature」の試写会の場である。

(筆者も取材を申し込んだが満員とて果たせなかったが、下記に詳しい。写真も同URLより)
http://www.unicef.or.jp/library/report/sek_rep73.html

10月19日から公開される映画「もう一人の息子」は出生時に取り違えられたパレスチナイスラエルの子供、という象徴的な物語。
http://www.moviola.jp/son/

この「注目すべき握手」を知っていた筆者は、しかしまた中東問題の複雑さを知るだけにやや躊躇しながら、10月9日、都内大学にて開催された「イスラエル・ビジネス・フォーラム」に出席だったカナノフ大使に「和平対話を視野にいれての西東詩集管弦楽団の日本招聘の夢」を述べた。

大使はそれを率直に評価してくれ、「今後とも、その進展を聞かせてくれ」と前向きに反応してくれた。

同大使は「パレスチナとの和平」について、9月24日、日本記者クラブでの公開インタビューで(ことの難しさを知る筆者には)驚くほど、フランクに前向きに語っている。
http://www.youtube.com/watch?v=Gor5vMzvDGM      (28:00 分から40:00分)

さて、既報、10月12日からの三連休の「オスロ合意検証」シンポジウムは日本人から見ると、まるで大ゲンカのごとく口角泡を飛ばしての「超白熱論争」だった。

【第209回】 日本主導で「オスロ合意」再構築を - 浜地道雄の「異目異耳」


それだけ、ことは複雑、困難ということだが、それでも「共存」しかありえないことは両者ともよく分かっている。
(その二日目、大論戦の会場で静かに傍聴していたシアム・パレスチナ大使の姿を筆者は見逃さなかった)

日本が仲介しての「和平対話」と何とか実現したい。

【第221回】 日本が主導すべき中東和平問題 - 浜地道雄の「異目異耳」

それが日本がグローバル・リーダの一員としての重大責務である。

9月11日、安倍首相へのグローバルな期待 – 中東和平 - JanJanBlog


それの象徴としての「西東詩集管弦楽団」(バレンボイム指揮)の日本公演も何とか実現したいと筆者の「とんでもない構想」は広がる。

【第182回】1989年私のワイマール ~ 西東詩集管弦楽団 - 浜地道雄の「異目異耳」

おりしも、駐日米国大使キャロライン・ケネディー女史の日本赴任が近い。楽観的に過ぎるとのそしりは覚悟の上で、リベラル、人権派の同大使にあっては、「外交経験不足」を敢えて前向きに捕えて、この世界的難題の仲介にソフト・パワーをもって「トモダチ参画」をしてほしい。

同年4月29日、安倍首相がNYの国連総会で演説した「積極的平和主義」とは、本来これに他ならない。

【第74回】 Proactive考 〜 安倍首相の米議会演説に見る「意図的誤訳」 - 浜地道雄の「異目異耳」

 

【第207回】 夜のBreakfast

Jul, 2013

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ラマザーン明けの集まり

商社マンとしてサウディ・アラビアの首都リヤド駐在時のこと。スーク(市場)にオフィスがあるお客とアポイントが取れた。「11時に来てほしい」とのことだったので、約束当日、午前11時に行ってみると、店々のシャッターが一斉に降りていて、スーク全体がガラーンとしている。一体どうしたことかと訝るのだが、後で判明した。「午後11時に来い」ということだったのだ。

その理由は、折しもイスラーム暦の断食(ラマザーン)の月。ムスリムイスラーム教徒)は日のあるうちは断食を行い何も食べない。敬虔なムスリムは自らの唾を飲み込むことさえせず、あちこちで唾を吐いてる。

ラマザーンは、ムスリムにとっての絶対生活訓たる「聖クルアーン」によると最初の啓示が下った聖なる月で、一年でもっとも祝福に満ちた月として待ち焦がれる月なのだ。

そして、件(くだん)の市場では日没と共に店を再開し、また、親戚縁者を集めての飲み食い(といってももちろんアルコールはなし)が、あたかも宴会のごとく店先で始まる。場合によっては徹夜騒ぎになる。

だから、翌日には寝不足と食べ過ぎで、グロッキー状態だ。そしてまた通常よりも沢山食べるから、断食月にはかえって太ってしまうことになる。

その断食は旅行者や重労働者、妊婦・産婦・病人・子供など合理的な事情のある場合は例外らしい。

異例の相撲力士「大砂嵐」はエジプト出身。イスラーム教徒。ラマザーン月には、日中の食事はなし。相撲は言ってみれば「重労働」だと思うのだが、元々スポーツマンであった「大砂塵」はずっと忠実に教えを守ってきて、「これもトレーニングのうち」と平気の平左と聞く。

ラマザーン月明けは盆と正月が一緒に来たようで大宴会となる。そして、その費用は、一族の中で最も成功した裕福な者が負担している。家父長制の一つの表れであり、一種の所得再分配という社会システムとも言える。

Breakfastとは朝食かと思っていたら、さにあらず、この「Break Fast=つまりFast (断食)をBreak (解く)」は夜に宴たけなわとなる。

夜中近くの商談から、「なるほど文化の差」かと学んだものだ。

 

 Jul, 2013

Breakfast at night Other Eyes and Ears – Vol.5 

Seconded to the Saudi capital of Riyadh while working for a trading company, I got an appointment with a client whose office was in the souk (marketplace). Asked to “come at 11”, I duly turned up at 11 am on the day arranged, only to find the shops all shuttered, and the souk deserted. What on earth was going on, I wondered suspiciously. Later it transpired that I’d actually been told to come at 11 pm. .

The reason: my visit just happened to coincide with the month of Ramadan according to the Islamic calendar. During Ramadan Muslims fast in the hours of daylight, eating nothing. The most devout do not even swallow their own saliva, preferring to spit all over the place.

According to the Koran, the Muslim holy book which sets out absolute precepts for living, Ramadan is the sacred month in which the Prophet Muhammad first received revelations from Allah. As the most blessed month of the year, it is much anticipated..

The aforementioned market reopens at sunset, extended families gathering at the shops to eat and drink (though no alcohol, of course)in party-like fashion. In some cases, the festivities continue through the night..

Which means that the next day, people are groggy from too much eating and not enough sleep. And because they eat much more than usual, paradoxically this month of fasting often becomes a month of expanding waistlines.

Apparently some are sensibly exempted from the fasting requirement, including travelers, people performing heavy manual labor, pregnant women, women in labor, invalids, and children..

The remarkable Egyptian sumo wrestler Osunaarashi is a Muslim. During Ramadan he refrains from eating during the day. I suppose sumo could be classed as “heavy labor”, but Osunaarashi, originally a sportsman, has always adhered faithfully to his religion’s teachings on the matter of Ramadan, and is said to be perfectly OK with the fasting, describing it as “all part of the training”..

The end of Ramadan is a celebration to rival Obon and New Year combined, paid for by the wealthiest and most successful member of the family: a manifestation of the patriarchal nature of Muslim society, and also perhaps a form of social welfare: a way of redistributing income.

You may think breakfast should be eaten in the morning, but no, this “breaking of the fast” reaches its pinnacle at nighttime. Engaging in business talks in what was virtually the middle of the night gave me insight into yet another way in which cultures can differ.

 

by Michio HAMAJI

International business consultant. Part-time lecturer at the Bunkyo University Faculty of International Studies. After graduating with a degree in economics from Keio University in 1965, studied at a foreign trade college before taking up a post in the Middle East in charge of oil for a trading company. At the age of forty-five, launched a new career in the information business and moved to New York. Following jobs at a translation company and Japanese-US communications fi m, chose the path of self-employment in 2002. Set up the Saudi Arabian pavilion at the Aichi Expo. Has worked on a series of music videos on renowned conductor Leonard Bernstein. Japanese advisor to firms such as U.S. information systems company Cognizant and U.K. educational publisher Pearson.

【第206回】「反日」が過剰報道される上海を訪問 (2005)

 

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上海の浅草、余園の父子

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,盛り場・南京路で繁盛する吉野家



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人気のトローリーは「京都号」



 

 

 

 

2005/05/02

 

「余命長くない」と医者から宣言されたオヤジ。それは言わずに最後の思い出(筆者は上海生まれ。4歳まで)ということで、家族で上海行を計画した。

 ところが、突然ふって沸いたような中国における「反日」報道。そのデモ隊の投石画面がTVで茶の間に入り込み、日本市民に恐怖感を植えつけた。

 長年、中東、米欧、アジアとわたり歩いた元商社マンとしては、過去、しばしば経験してきた「現場との違和感」を今回も感じた。

そこで、やはりこの目で現地を見ようと、周りの反対を押し切って上海行きを決行した。

往復飛行機(日本)はガラガラ、ホテルでも日本人はいない、街でも見ない。    「反日デモ」は誤報ではないけど、針小棒大とはこのこと。それへの反語として敢えて断言すれば、街には反日の機運のかけらも無い。

ホテルに閉じこもってたわけではなく、中国語のできない日本人夫婦二組がアテンドなしで旧日本租界を歩き、大学を訪ね、夜の繁華街で買い物も食事もした結果の判断だ。
武装護衛で固めた(イラク)サマワ半日間の視察で「治安に問題なし」と判断した某防衛庁長官とは判断の視点が違う。

一年ぶりの上海は、いよいよ、活気と喧騒とけばけばしさに満ち、その分、貧富の差という矛盾をさらけ出していた。時速430kmというリニア・モーター・カーと、子連れの物乞い。これらが共存(?)する、昔ながらの「魔力の街」だ。

そんな中で、「上海の浅草」ともいうべき繁華街・余園を訪ね、喧騒の市民生活の中に入って行った(4月26日)。 そこで出会った肩車の父子。そこには反日も抗日もない、万国共通の「無条件の安寧感」がある。

 ニューヨークや中東と同様、何でもあり! したたかな相手には、こちらもこちらなりのしたたかさを持たねばならないが、結局は報道を受ける側の「インテリジェンス」に帰結しよう。
踊らされるほうがいけない。とにかく、愚民にはなりたくない。

 

 関連拙稿:

日中国交回復40年                      https://hamajimichio.hatenablog.com/entry/2020/08/15/000000

アルバニア(決議 1971)https://hamajimichio.hatenablog.com/entry/2020/10/06/000000_1