浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第74回】 Proactive考 〜 安倍首相の米議会演説に見る「意図的誤訳」


2015年06月08日

ヘンデルのオラトリオ「メサイアMessiah救世主」は歌詞が英語(古語)ゆえ、勉強になる。
聖書The Book of Common Prayerからの聖句をなぞっての壮大な音楽の流れは感動的だ。

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ヘンデルメサイヤ」 Wikipediaより

 

その第二部最終の「ハレルヤHallelujah讃美・ヘブライ語源」コーラスになると、聴衆が一斉に立ちあがる。これは1743年ロンドンでの初演のさい、国王ジョージ2世が感動し立ちあがったという故事に由来する。
Standing Ovationとは感激のあまり観客が総立ちになることだ。

4月29日、日本の首相として初めての、米上下両院議会における安倍晋三首相の演説では50分の間に10回もスタンディングオベーションがあった(=それほど、スピーチは大成功だった)と伝えられた。

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アメリカ議会における安倍総理の演説 Photograph: Gary Cameron/Reuters

 

が、実際の場面の通り、これはアメリカ人らしい「社交(外交ではない)」であると、認識すべきだ。
参照:米国連邦議会上下両院合同会議における安倍内閣総理大臣演説

勿論、今の日本(人)にとっては、ぺラペラでなくても「Speak-Up」すること自体が重要なことである。
参照:Speak-up ⇒ Engineering (創造)
今回の演説「希望の同盟Toward an Alliance of Hope」はその意味で良い手本であった。ユーモアも歴史・文化も含め、本人はじめ、スピーチ・ライターらの苦労も推しはかられる。

が、そのContent(内容)について、看過できない点が「Japan’s New Banner日本が掲げる新しい旗」章にある。
本稿は政治論議が目的ではないゆえ、ひとえにことば(=英語)の使い方という観点で検証する。

公表された英文「proactive contribution to peace (based on the principle of international cooperation)」。これが繰り返えされ、強調されている。
「平和に向けてのproactive=先手をとっての貢献」。
即ち、多くの米国議員には、「(例えば)中国の東シナ海への進出に対して(軍事)同盟国Allyである米国の軍隊が出動の場合、それの『先を見越して』自衛隊を派遣する」と聞こえたはずだ。(→ そこでStanding Ovation)。
だが、その和訳(外務省公式)を見てウーン、と唸らずにはおれない。それが何故「積極的平和主義」と翻訳されるのか?

かつ、知られるごとく、「積極的平和Positive Peace」とは、「平和学の父」ノールウエイのJ Galtung教授により定義されている。即ち、同教授は、平和を「消極的平和(Negative Peace)」と「積極的平和(Positive Peace)」の二つに分けている。
「消極的平和」とは戦争の無い状態を指すthe absence of direct violence (wars)。そして、貧困、抑圧、差別などの構造的暴力が無い状態を「積極的平和」としているthe absence of indirect(structural)violence。
同教授は特に後者の「積極的平和主義」を強調し、貧困、抑圧、差別問題まで論理を展開している。
参照:トランセンデント研究会:「積極的平和」の誤用・悪用について

この論説は、平和学のみならず、国際関係学、政治学上も広く認知されており、内・外多くの知識人、学者、政治家はこのガルトゥング教授の「積極的平和」論の意味を理解している。首相官邸とてその例外ではないはず。となると、全国紙で公表されたこの日本語は「意図的な工夫、即ち誤訳」をしているということになる。

なお、安倍首相の米議会演説でのTPPの章では、TPP is also about our security. Long-Term, its strategic value is awesomeを日本語では「長期的な、安全保障上の大きな意義がある」と、意図的に「strategic戦略的」という刺激的なことばを外している。

明らかに対外発信(英語)と国内向けメッセージ(日本語)に齟齬がある以上、
我々英語教育に関わる者としては、今後のことの推移を「Proactive先を見越して」に見守っていく義務がある。

■ 参照:関連リンク:
Proactiveっていい日本語ないかなあ

一般社団法人日本在外企業協会「月刊グロ―バル経営」(2015年6月号)より転載・加筆。

■ 関連拙稿サイト
PeaceとPacifist 〜 ビジネスも平和が前提
「ノーベル平和賞を」運動を励ましてくれるガルトウング教授