浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第206回】「反日」が過剰報道される上海を訪問 (2005)

 

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上海の浅草、余園の父子

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,盛り場・南京路で繁盛する吉野家



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人気のトローリーは「京都号」



 

 

 

 

2005/05/02

 

「余命長くない」と医者から宣言されたオヤジ。それは言わずに最後の思い出(筆者は上海生まれ。4歳まで)ということで、家族で上海行を計画した。

 ところが、突然ふって沸いたような中国における「反日」報道。そのデモ隊の投石画面がTVで茶の間に入り込み、日本市民に恐怖感を植えつけた。

 長年、中東、米欧、アジアとわたり歩いた元商社マンとしては、過去、しばしば経験してきた「現場との違和感」を今回も感じた。

そこで、やはりこの目で現地を見ようと、周りの反対を押し切って上海行きを決行した。

往復飛行機(日本)はガラガラ、ホテルでも日本人はいない、街でも見ない。    「反日デモ」は誤報ではないけど、針小棒大とはこのこと。それへの反語として敢えて断言すれば、街には反日の機運のかけらも無い。

ホテルに閉じこもってたわけではなく、中国語のできない日本人夫婦二組がアテンドなしで旧日本租界を歩き、大学を訪ね、夜の繁華街で買い物も食事もした結果の判断だ。
武装護衛で固めた(イラク)サマワ半日間の視察で「治安に問題なし」と判断した某防衛庁長官とは判断の視点が違う。

一年ぶりの上海は、いよいよ、活気と喧騒とけばけばしさに満ち、その分、貧富の差という矛盾をさらけ出していた。時速430kmというリニア・モーター・カーと、子連れの物乞い。これらが共存(?)する、昔ながらの「魔力の街」だ。

そんな中で、「上海の浅草」ともいうべき繁華街・余園を訪ね、喧騒の市民生活の中に入って行った(4月26日)。 そこで出会った肩車の父子。そこには反日も抗日もない、万国共通の「無条件の安寧感」がある。

 ニューヨークや中東と同様、何でもあり! したたかな相手には、こちらもこちらなりのしたたかさを持たねばならないが、結局は報道を受ける側の「インテリジェンス」に帰結しよう。
踊らされるほうがいけない。とにかく、愚民にはなりたくない。

 

 関連拙稿:

日中国交回復40年                      https://hamajimichio.hatenablog.com/entry/2020/08/15/000000

アルバニア(決議 1971)https://hamajimichio.hatenablog.com/entry/2020/10/06/000000_1