浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第138回】ミュージカル「踊る大紐育」主役を訪ねる(NYC)

 

2011年10月16日

I’ve been her husband for 70 years. 私は(1943年以来)70年近く彼女の夫だ。」

東京から、NYマンハッタンのソノ・オーサト女史宅への電話に出た男性へ「どなたですか?」と尋ねた筆者への言葉だ。

そう、あのソノ・オーサトの自叙伝に「一目ぼれした」とある超ハンサムボーイ。 勉強のため、6歳でNYに送られたというモロッコユダヤ人(スペインから追われたユダヤ教徒セファーディ)、Victor Elmaleh氏だ。夫妻共に92才。共に健在と電話の声で確かめられた。

今回NYでの「バーンスタイン」映写会(10月9日)にぜひお出で頂きたいと伝えた。

【第139回】「NYフィル、バーンスタイン・小澤征爾」映写会報告 - 浜地道雄の「異目異耳」

結局彼女の体調がすぐれず、映写会へは来られなかったが、翌日の10日の午後に自宅に招かれ、訪ねた。

f:id:TBE03660:20201228232841j:plain

両親と(自叙伝から)

ソノ・オーサト・エルマレー(Sono Ohsato Elmaleh)と言っても、在米(NY)の長い日本人の間でも殆ど知られてない。往時のトップ・ダンサー(バレリーナ)だ。1919年8月、ネブラスカ州オマハ生まれ。父が日本人(大里昌治:秋田出身、仙台居住)、母がアメリカ人。

両親と (自叙伝から) バーンスタインの「ウエスト・サイド・ストーリー」に先んずるミュージカル「On The Town、邦題;踊る大紐育(ニューヨーク)」の1944年のブローウエイ舞台公演の主役、「Miss Turnstiles ミス地下鉄」だ。

【第1回】世界を変えるTicket - 浜地道雄の「異目異耳」

MISS TURNSTYLES (「踊る大紐育」での場面) バーンスタインの愛娘Jamieから「ソノはマンハッタンで健在」と聞いて以来、そのことがずっと頭に残っていた。

http://www.dreamlife.co.jp/column/hamaji/20100416.html

f:id:TBE03660:20201228232834j:plain

MISS TURNSTYLES(「踊る大紐育」での場面)

自伝「ある日系人ダンサーの生涯(翻訳 薄井憲二:晶文社 1995)」の帯、「舞台に恋した。20世紀バレエの最先端を歩み、ミュージカル・スタートして花開いた日系女性の愛と喝采の日々」の通り感動のヒューマン・ストーリーであり、近代バレーの貴重な証言だ。

原題「DISTANT DANCES:Borzoi Book, Alfred.A.Knoph.Inc. 1980」。アメリカ(NY)におけるクラシック・バレーの確立の過程、世界各国を巡業しての近代バレーの状況をつぶさに描いた、文字道理グローバル・スケールのトップ・ダンサーだ。

但し、内容は華々しさだけではなく、1920年代の人種問題に起因する父母の苦しい生き様、両親夫婦不仲への心痛、そして1940年代、大戦敵国日本の血が半分入ってることによる米政府による統制。さまざまの葛藤がにじみ出ている。

ふとしたことからバレーに魅入られ、才覚を表し、14歳にして名門バレー・リュスに入団、ヨーロッパ公演に参加、後にソロを踊り、大人気であった。

当時のトップ・スターだった証拠に多くの写真、記録、書類がNY図書館のリンカーン・センター分室に保存されている。多くの契約書関係もあり、中に、米国内巡業にあたっての戦争敵国「日系人」としての旅行制限(=立ち入り制限区域)など、生々しい記録も見ることができる。

驚くべき記憶力に基づく自伝の最初に、父の母国である日本を家族で訪ねた時、わずか6歳の少女が悪夢のごとく横浜で体験した関東大震災(1923年9月1日)の記述がある。そのトラウマが92才の今も残っているようで、「消防隊員(だと思うが)たちがかぶっていたヘルメットの銀色が今も脳裏に焼き付いている」とのこと。

結局故郷を訪問することはなく、以来、日本を訪れたことはない。日本語も話さない。

本年3月11日には東北大震災があったと言うと、顔をしかめて「震度マグニチュードはどれ位?」と聞く。その様子は無垢で、世間ヅレしてない、過敏な、それでいて魅力の少女の表情である。

傍らで、愛妻の言葉をやさしく補助、説明してくれるのが件(くだん)の夫、Victor。スカッシュの全米級選手だったという巨躯だが、自ら水彩を中心に画を描く文化人で、その立派な画集にサインをしてくれた。

妻をいつくしむ物腰の柔らかさは、本当にほのぼのとさせられる。結婚当初は貧乏だったが、実業(不動産、デザイン)で財をなし、今も現役の会社の会長。そのVictor の姿は現役のビジネスマンとして「NY建設物語」をソフトに語る動画像に見ることができる。

(音が出るので注意)


「お二人の写真を」と了解を求めたに対して、席を移動しての二人で寄り添うポーズをとってくれた。マンハッタン・ミッドタウンの東側、高級アパートの居間には、野口イサムによる彫刻やピカソの絵がさりげなく飾ってある。

f:id:TBE03660:20201228232842j:plain

寄り添う二人

寄り添う二人 バーンスタインの話を中心に話が弾み、愛娘Jamieとの(前日の)対話を報告したところ、懐かしがり、喜んでくれた。 初対面にも関わらず、ぜひ、次回は妻や子供と来てくれとのこと。 世界ベースで世は混乱の時代。

そんな中で、文化・芸術を中心に、歴史を、人間を、さらにまたビジネスをこんなにゆったりと語り合えたことは幸せであった。

 

関連サイト:

http://blogs.yahoo.co.jp/nagacumatz04/44923653.html

ソノ・オーサト:Sho's Bar:SSブログ

http://www.ytdp.com/columns/columns_92.php

 関連書籍は、前述自叙伝(日本版)「踊る大紐育」、原本「DISTANT DANCE.」のほか、インタビュー本「秘められたスター、ソノ・オーサト」(亀山満、パイポ出版、1987)

次稿につづくー

【第140回】リンカーン・センター(NYC)で遭遇した「西東協演」 - 浜地道雄の「異目異耳」

 

追伸: NYCで会いたかったもう一人の日系婦人、「イスラームの花嫁」は電話にも応答なく残念だった。(ご健在を祈るのみーー)

【第125回】イスラームの花嫁(アフガン難民) - 浜地道雄の「異目異耳」