浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第199回】JANJAN過去記事から(1)トイレット・ペーパ騒

 

2011年3月19日

 

JANJAN過去記事から(1)

過剰報道こそ危機管理の敵 冷静さ忘れずに

 

(現在、JANJANのリンクが現在できず、復旧を心待ちしてますが、その間、今回の地震津波原発事故に関連して、蓄積してあった過去記事を再現します) 

http://www.news.janjan.jp/media/0507/0507139533/1.php

浜地道雄2005/07/14

 

ロンドンテロなどに関する一連の過剰報道は、1973年秋の「トイレット・ペーパー騒ぎ」を彷彿させる。国益を損ねたあの騒ぎを風化させてはなるまい。  

右上は何でもない、というより下らないトイレット・ペーパーの写真。これが、日本国中の大騒ぎとなった元凶で、石油価格上昇にも「貢献」したものだ。それを煽ったのがマスコミの過剰報道で、そして、それに乗ったのが庶民であった。  

今般のロンドンでのテロ事件に関連して東堂一記者が、「4年前の恐怖が蘇る」「またテロの恐怖に世界が震えた」などの煽情的な見出しに言及して、的確な「テロとマスコミ」論を書いている。筆者も先般の上海反日デモ報道に関連して、実地の体感をお伝えした。  

一連の過剰報道は、1973年秋の「トイレット・ペーパー騒ぎ」を彷彿させる。  

同年春、筆者が商社の石油マンとしてテヘランに駐在したとたんに第3次中東戦争が勃発。それを機にOPEC(産油国連合)は原油の競売作戦をとった。日本勢同士の値上げ合戦となり、バレル当り2ドルだった価格が一挙に4倍にも達する勢いであった。いわゆる「第1次オイル・ショック」だった。 

その前年、「日章丸以来の快挙」と評価された世界で初めての長期DD(Direct Deal)契約が、逆に足かせになり事態は最悪となった。筆者は結局左遷となり、「新婚でこの地に赴任。骨を埋めるつもりであったのに残念」と石油公社総裁に別れの挨拶をした。  

医者でもある温厚な紳士のその時の言葉は痛烈であった。「OPECとしてはこの値上作戦に自信はなかった。しかし、日本が騒いでくれたお陰で大成功した。日本は影響力のある大国である」――絶句!  

トイレット・ペーパーなんかなくても生活できる。中東国民の心の故郷は砂漠(右写真下:ドウバイ博物館での人形)。そこでは左手(不浄の手)で砂漠の砂、水を使ってよっぽど衛生的にやっている。  

騒げば騒ぐほど相手の思う壺。メディアの過剰報道とそれに煽られる国民。国益を損ねたあの騒ぎを風化させてはなるまい。 

「危機管理」という言葉がはやっているが、そもそも危機って管理できるのだろうか? できるのは平素の心構えと発生後の対応。いずれの場合も「冷静沈着」が最高の対策である。  

※トイレット・ペーパー騒動については元NHKの秋山久氏の報告にまとまっている。

https://web.archive.org/web/20050227140501/http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no80.htm

  

関連拙稿:

http://www.janjanblog.com/archives/34097

http://www.janjanblog.com/archives/34228