浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第198回】バーンスタイン没後20周年に向けて(下) 混迷社会へのアピール

 

2009年12月28日

 

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バーンスタイン・NYフィルの「ヒストリック・テレビジョン・スペシャル」

前回記事:

【第197回】バーンスタイン没後20周年に向けて(上) 音楽映像のリリース - 浜地道雄の「異目異耳」

 

今日、中東問題を含めて世界は混迷状態。  

本稿の主意は音楽ではあるが、バーンスタインの様々の社会発言と実践にならい、関連映像に言及しないわけにはいかない。  

そこに、20年後の今、我々が学ぶべき教訓を見ることができる。

 

1)まず、添付、LPジャケット(CBS-SONY No: SOCO-46)と手塚治虫のコミックと見比べて、その精密な描写に驚かされる。

1973年1月、ベトナム戦争で疲弊していた時期のニクソン大統領の就任式のケネディー・センターにおける前夜祝賀演奏で、オーマンデイ指揮のもとフィラデルフィア管弦楽団が選んだのが戦争(勝利)を鼓舞するチャイコフスキーの「1812年」。  

片や、ワシントン大聖堂ではバーンスタインと有志で平和を祈るハイドンの「戦時のミサ」の無料演奏会がおこなわれた。大聖堂はいっぱいで(雨にも関わらず、外には12,000人)、その様子は1月19日付け、ニューヨークタイムズで「Concert Reflects Moods Of Divided Washington ワシントンの二つに割れたムードを反映した演奏会」(Lind Carlton記者)として取り上げられた。  

そして、これにもとづき、何と音楽ファンでもあった(故)手塚治虫が驚くほど忠実なコミックを「雨の日のコンダクター」として残している。

静岡本店クラシック売場のブログ ハイドン+バーンスタイン+手塚治虫=「雨のコンダクター」

2)モスクワでの番組では、作曲家ショスタコーヴィッチが観客にいたことは前述したが、その最後に作家・詩人ボリス・パステルナークが楽屋に訪ねてきた場面がある。

パステルナークをバーンスタインはモスクワ郊外に訪ねて長時間話したよし。  

これはパステルナークが、ロシア革命を非難する「ドクトル・ジバゴ」を書いて隠棲生活を強いられていただけに特記に値いする。  

 

そこでのバーンスタインの語り口はこうだ。  

「我々が戦争に加担しなければ世界は変わるでしょう」  

「エネルギーや富を戦いに浪費する代わりに(中略)学び、語り、愛し合うことができるのです」  

そして、「私たち音楽使節の活動が両国の未来へ貢献できたら幸いです」とプログラムを締めくくっている。

 

3)番組のスポンサーはフォード財団で、プログラム中に「コマーシャル」が含まれるが、自動車の宣伝ではなく、弁護士ウエルチによる「アメリカ人へのメッセージ」だ。  

同弁護士が1954年6月、「過剰赤狩り」についての公聴会でのマッカーシー議員を論破したことは駐日米国大使館のサイトにも出ている。

写真で見る米国史

http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-ushist19.html  

 

アメリカ建国の地フィラデルフィアの独立記念館のひびの入ったLiberty Bell(自由の鐘)の傍らから、1776年の独立宣言を引用して国民に「国への貢献」を呼び掛けている。  

「人は平等に造られており、造物主から天賦の権利を付与されている」として、「その権利を確保するための政府機関=国への貢献」を呼び掛けている。  

これが自動車会社の「コマーシャル」なのだ。  

この公聴会は国民へのTV中継の幕開けであった。  

 

さあ、もうすぐ2010年。  

「天賦の平等」精神は、このGlobal化の進んだ今、ひとりアメリカ合衆国のエゴのためだけであってはならない。

 

オスロで、オバマ大統領は「愚挙」についてどう語るのか?

http://janjan.voicejapan.org/world/0912/0912033966/1.php

平野官房長官が「憲法違反」を支持   

http://janjan.voicejapan.org/media/0911/0911213444/1.php

 

来る年は、ユメユメ「戦争の年」であってはならない--。  

バーンスタインの言葉を借りれば、「我々が戦争に加担しなければ世界は変わるでしょう」