浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第126回】Vassarに訪ねる ~ 明治期の少女留学生

 

2013年8月26日

 

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Shigeko Nagai(同校サイトより)

米NY州、マンハッタンから車(電車)でハドソン川沿いに約二時間北上。 ポキプシー (City of Poughkeepsie, New York) に至る。

風光明媚なダッチェス Dutchess (元々ダッチ=オランダ人入植地) 郡都だ。

人口5万の小さな町だがIBMメインフレーム開発拠点がある。

今回訪問(8月19-21日)のお目当てはヴァッサー・カレッジ Vassar College1861年、実業家であったマシュー・ヴァッサーによって設立。 全米の著名女子大学群であるSeven sisters の一つだ。

(他6校は、Barnard College / Bryn Mawr College / Mount Holyoke College / Radcliffe College / Smith College / Wellesley College)

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同校音楽学

さて、時は1871年明治4年、横浜港を出発した岩倉具視(時の右大臣=副首相)を団長とする米欧視察団に5人の日本人少女が最初の女子留学生として同行した。上田貞子(15)、吉益亮子(15)、山川捨松(12)、永井繁子(9)、津田梅子(8)。

うち、二人がこの Vassar College に学んだ。 一人は大川捨松。後に大山巌夫人となり、「鹿鳴館の華」として活躍した様子は久野明子(曾孫)著「鹿鳴館の貴婦人、大川捨松」 (中公文庫)に詳しい。

http://mitiko02.k-free.net/roku1/roku2/roku2.htm

もう一人は永井繁子

http://vcencyclopedia.vassar.edu/alumni/baroness-uriu.html

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同校本部

 

同校の記録によると。1878(明治11)年9月から3年間、音楽を学んでいる。リサイタルでの曲目にはメンデルスゾーンの「無言歌作品21」「タウベルトの子守歌」「シューベルト即興曲4番作品90」などが並んでいる。 上級生になってからの春のコンサートでは「華麗なる円舞曲、変イ長調作品34」を演奏している。 また、一年生の時には数学、次年にはフランス語や英語の作文クラスも取っている。 

繁子は帰国してから独奏会をひらいたようだ。「明治14年、米国から帰国した永井繁子のピアノ独奏会」が日本人で最初の独奏会だったという記録もある。

http://blog.livedoor.jp/bookshell/archives/1286620.html

繁子は、のち、1882年(明治15年)、海軍軍人・瓜生外吉と結婚。1886年明治19年)には 女子高等師範学校東京音楽学校で教えている。 (東京の猛暑を離れて)この真夏ながら爽快な気候の中で、Vassar Collegeの広大な敷地の一隅にある130年も前に学んだ(であろう)音楽学部のSkinner Hall of Music(1932)前に立つと、グローバル化の先達少女の奏でる美しいピアノ曲が薫風に乗って伝わってくる。

Vassar校に付属するgolf course

 

関連拙稿:

明治期のラトガース大留学生

http://voicejapan2.heteml.jp/janjan/world/0911/0911022550/1.php

踊る大紐育

http://www.janjanblog.com/archives/53347

岩倉使節団」シンポジウム

http://voicejapan2.heteml.jp/janjan/culture/0611/0611260391/1.php

「堂々たる日本人」

http://voicejapan2.heteml.jp/janjan/culture/0602/0602210648/1.php

明治学院のチャペルにて

http://voicejapan2.heteml.jp/janjan/culture/0906/0906030493/1.php

 

インターネット新聞 「JANJANより転載・加筆