浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第28回】 鴎外に学ぶInformation


2011年03月01日

  

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1989年10月。二週間後に壁崩壊(独:Mauerfall)という歴史的瞬間を二週間後に控えたという気配すら感じられないベルリンにいた。
「日本情報会議」に出席していた。会議場日独文化センターは旧日本大使館とあって重厚なもの。(現在又大使館となり、横は「ヒロシマ」通りと改名されたと聞く) 忘れられないのは東ベルリンの小さな森鴎外記念館(昔の下宿先)。
舞姫」(1890)のエリスとの悲恋を想った。

鴎外は、1911(明治44)年、三田文学に短編『藤鞆絵』(新潮文庫)を発表している。そこに「かう云ふ不慮な出来事は、丁度軍隊の指揮官が部下の大勢ゐる前で、予期してゐない情報を得た時のやうなものである」とあり、これが文芸書における「情報」ということばの初出である。
(このことは、インターネットのなかった当時、森鴎外の研究家と聞いたコペンハーゲン大学の長島要一教授にFAXで不躾にもうかがった。)

IT(Information Technology)とは必ずしもインターネット・コンピュータに限らず、狼煙、飛脚、郵便、から電信・電話、テレックス、そしてファックスも指す。 しかし、今や何といってもInternet「情報化時代」だ。
企業におけるCIO(Chief Information Officer)米国では情報参謀というプロである。
日本ではInformation=情報と翻訳されるが、実は深いテーマである。

Inform はラテン語のinforma’reに由来し14世紀初めから「教育する、訓練する」などの意味で使われ「人に…を知らせる」の意味で使われた。当初は本来の知識を持つ人が「教える」ことをto give form to(形を与える)意味したよし。「精神(思考)に形を与える」、「整理する」、「命令する」、「教える」といった意味もある。
が、それはつまり「伝える」ということでありNotify(通知)と同様に、数字(figure, data)や文字の伝達に過ぎない。

鴎外は、これを遡る1901年、クラウゼヴィッツの『戦争論』を訳した『戦論』の中でドイツ語Nachrichtを「情報」と「状報」に使い分けて訳した。
ものの本によると、日本語の「情報」は『佛國歩兵陣中要務實地演習軌典』(1876)において、仏語renseignement (案内、情報)の訳語として「敵情を報知する」意味で用いられたのが最初とのこと。
又、軍事用語では、英語informationとintelligenceを明確に区別し、informationを「情報資料」、intelligenceを「情報」としている、とのことだ。

軍医だった鴎外は「情報とは、敵と敵国とに関する我智識の全体を謂ふ」としている。
「データ」のように情報科学で扱う「形式的情報」を「状報」として敵情推測の所変(客体印象識)と解した。一方その「状報」に付加価値を考慮した「意味的情報」を「情報」として、能変(主体思量識)とした。

この鴎外の「定義」は現代国際ビジネスも重要な意味を含んでいる。
Informationに人間の知力Intellectを加えてこそ初めて情報であり、それはIntelligenceに他ならない。Intelligenceはしばしば諜報=スパイEspionageと同義語に思われるが、そうではない。
CIA とはCentral Intelligence Agencyだし、Artificial Intelligence人工知能もある。Competitive Intelligenceはビジネスの必須語だ。 「海外に勇躍し、汝の敵(欧米)を知れ」と説いた佐久間象山(1811-1864)などはさしずめこの思想の先駆者だ。

少し拡大解釈をすると情報とは「情(なさけ)に報いる」という発想となり、それはビジネスの根源たる人間関係ということも言えよう。

(社)日本在外企業協会 「グローバル経営」2010年11月号より転載・加筆

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