浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第255回】 「情報」: 情けに報いる

 (1993年11月21日New York Times)

 

2004年8月2日 記 (貿易研修センターWorld Forum)

 

 「はじめに言葉ありき」。(ヨハネ一章一節)

 

この情報技術時代にあって、言葉はいよいよ重要な手段だ。そもそも「情報」という日本語、「情けに報いる」とは何と日本的表現だろう。

 「はじめに言葉ありき」。 確かに言葉は相互コミュニケーションには重要で有効な手段だ。言葉について日米の差は日本語が表意文字であるに対して、英語は表音文字であるということだけでなく、その使い方にあろう。

アメリカにおいては挙手をして、質問をして、積極的にクラスに参加していくことが教えられてるし、ディベートはゲーム感覚ですらある。しかし、「沈黙は金」で育った日本人同士では人間関係を損ないかねない。素晴らしいプレゼンテーションよりも、行間を読み取り、情報を分析することが重要である。この顕著な差を克服するには「お互いに違うのだ」ということを理解する努力することだろう。

 もう10年も前のニューヨーク・タイムズがここにある(1993年11月21日)。そのビジネス欄のトップはイラストと共に「Now Itʼs Japanʼs Turn to Play Catch-up、今や日本が追いつく努力をする番」という見出しの大きな記事だ。小見出しは 「パソコンからケーブルTVまで次のエレクトロ二クス革命でずっと遅れをとっていることを東京は認識している」とあり、即ち、「通信機器の技術革命で日本は指導 的役割を果たしているが、それを使うことでは米国の後塵を拝している。確かに米 国の人口2.5億人は日本の倍ということもあろうが、それだけではなかろう」というもの。

イラストによると、勤労者100人当たり使用パソコン数(米国41.7、日本9.9)、国内データベース数(米国3,900、日本900)、100人当たりの携帯電話数(米国 4.4、日本1.4)等々、要するに日本はエレクトロ二クス大国のはずなのに、自分達自身の電子機器の使用という点では米国にずっと遅れている、とある。

ゴア(当時)副大統領の主導による情報スーパー・ハイウエイ構想が、インターネットへと爆発的に発展した今、この数字を見直してみると隔世の感がある。 それにしても情報伝達の日常化、ことにそのコンテンツ、ソフトウエアの開発と いう点では今尚日米に格段の差があり、同記事の指摘は今も変わらない。

その理由・原因にはいくつか考えられるが、何と言ってもアルファベット26文字対カタカナ・ ひらがなに加えて無数の漢字という決定的な差がある。もう一つは地理的大きさの 差であろう。何しろ25倍の国土でありテレコミュニケーションの発達は必然的結果と言える。

そして、これと表裏一体の関係をなす人間の性格・風習といった「文化」の差も決定的である。つまり、かの地では相手の顔を知らなくても電話とファックス、そしてインターネットでことが足りる、というかそれ以外に方法がない。その点、日本では何はともあれ相手と会って、ご挨拶をして、世間話をして、相手の顔や気質を知った上でないとコミュニケーションが成り立たない。

 そもそも「情報」という言葉、「情けに報いる」とは何と日本的表現だろう。 Informationという言葉を誰が「情報」と翻訳したのか非常に興味をそそられる。森鴎外という話しをどこかで耳にしたことがあったので、いつかその辺りを解明したいと思っていた。

某日、東方学会で講演をされたコペンハーゲン大学教授⻑島要一 氏が森鴎外の研究者と聞き、不躾にもお尋ねしたところ次のような返事をさっそく頂いた:

 「『情報』という言葉は鴎外の短編『藤鞆絵』(1911年発表)に『かう云う不慮な 出来事は、丁度軍隊の指揮官が部下の大勢いる前で予期していない情報を得た時のようなものである』という文章にあり、これは小学館日本国語大辞典にも『情 報』の出典にこの部分をあげてるので、文学作品に使われた最初と思われる。但し、この言葉自体はおそらく軍隊の中では頻繁に用いられたはずゆえ、鴎外の発明によるものかどうかは断言できない。もう少し調べて新発見があれば又連絡をする」。

地球の裏側からの見知らぬ者へのこの親切な情報は、ファックスという電子 技術で運ばれて来たが、そこには暖かい「情け」がこもっている。

 

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