浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第234回】 ベルリンの壁崩壊20年に思う

2009/11/10 記

1989年10月末、筆者は国際情報(日本情報)に関する会議出席のため、ベルリンに出張中だった。
 しかし、東西冷戦の終結の発端となった「壁の崩壊」(11月9日)という歴史的瞬間を二週間後に控え、現場のド真ん中にいながら予測することはできなかった。

 確かにホテルのTVではチェコ、ハンガリ—での国境越えのことや、東ドイツ南部でデモ発生のニュースは流れていたが、心をときめかしていたのは、むしろライプチッヒやドレスデンといった音楽ファンには堪らない地名のせいだった、と白状する。

 会場の元日本大使館(現日独文化センター)にあっては、戦前・戦後の歴史を思い、小さな森鴎外記念館ではそのロマン(『舞姫』エリスの悲恋)を思い、快晴の下、(冬でも)緑だったブランデンブルグ門の近くのティアガーデンで買ったばかりのオーボエを試奏し、「憧れのベルリン」は素晴らしい思い出でいっぱいだ。
(後年、ベルリンから車を駆って、家内と「開かれた東ドイツ」の東端、ポーラーンドとの河境に立った時の感激も忘れられない。)

 ベルリン・フィルの本拠地Saal(「カラヤンのサーカス小屋」と渾名される近代建築)では、ベートーベンのピアノ協奏曲一番を指揮しながらのバレンボイムの演奏表情をステージ背後からつぶさに見、聴き、堪能した。
 
 緊張のチャーリー・ポイント(検問所)を通過して、東側で見た格式の高いオペラハウスに集う紳士淑女は気のせいか特権階級だったのか?

 それにしても、「壁の崩壊の可能性」をどうして感じることができなかったのか、と今でも自問することがある。

 さて、20年後の今日、2009年11月9日のInternational Herald TribuneNew York Timesの国際版)はその「ベルリンの壁の崩壊」の大特集だ。
 トップ記事はじめ、前後6ページの全面記事とは異例な力の入れようで、その意義の大きさを示している。

つぶさに読んだ中に、「A fateful day, and the East tasted freedom 運命の日、東側は自由の味見をした」(Serge Schmemann署名)があり、その小見出しは「1989年11月9日に壁崩壊の現場にいて、権力と政治による計算がたったひとつのquest(自由への探求=筆者意訳)に圧倒された瞬間を知った」だ。「今振り返っても、東ヨーロッパを凌駕したあのとてつもない自由化精神を感じる」と続く。

 そして、「No one imagined that the Communist edifice would crumble 共産主義という堅固な機構が崩壊するということを、誰も想像しなかった。」ともある。
「正直に言おう。強力な軍隊、秘密警察と密告者のネットワーク、緻密な情報統制、そして特権階級からなるあの強堅な共産主義が近い時点で崩れるということを、専門家—記者、政治家、外交官、分析者−のだれも想像しなかった」と。

 まして、市井の日本人ビジネスマンに予想できたはずはなかったのだ———。

 余談ながら、1979年イラン革命の際、日本のTVで著名な国際問題評論家(故人)が「イラン革命は必然だった。
私にはわかっていた」とコメントしているのを見て、商社の石油担当テヘラン駐在員だった筆者はあっけにとられた。
 ベルリンの壁崩壊と同様、誰も、「いわゆる専門家」ですら予想してなかった、というのが当時の間違いのない状況だ。

 同記事の続く「そしてさらに正直に言おう。壁があることを西側の多くは心地よく思っていた。それは優越感でもあるし、管理できるブロックに世界を分けることができた」というのも意味深い分析である。
(以上、英文記事部分、全て筆者拙訳)

 確かに、「管理できるブロック」化の試みの根には「優越感」があろうし、但し、それが武力主導では成功しないということは米国(ブッシュ政権)の「中東民主化」への例が示している。

 反対側の旧ソ連によるブロック化の試みのひとつ、1979年、ブレジネフ政権下でのアフガニスタン侵攻は今の世界の混迷に爪あとを残しているのだから、ことの根は深い。
アフガニスタン侵攻失敗の教訓・ハッサーニ氏の思い

 個人的に振り返ってみると、偶然や間接も含めて中東戦争レバノン紛争、イラン革命イラク・イラン戦争、9・11事件など歴史の節目にいくつかの現場で立ち会うこととなり、この「混迷のグローバル社会」にあって、思うことは多々ある。

 その中心は、(文明という物質主義でなく)文化(含む宗教)という人間の心の持ちようたる「幸せ感」に他ならない。
東ドイツも「憧れの西」と統合して20年、格差は厳然として存在する、否、拡大すらしてる由。

 さて、本稿の結論は「独裁は続かない」という陳腐なものに
ならざるを得ないが、しかし、他方、アルバニアルーマニア、旧ユーゴスラビアなどの現場訪問経験では「(独裁者時代)庶民は案外幸せ感を持っていた」という矛盾した感想も否定できない。

 これらをも合わせ踏まえて、実は北朝鮮問題については「時間の問題」という説もあるが、これは余りにも複雑かつ微妙であり、別記としたい。

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