浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第26回】 愉快なCompany


2011年01月11日

 

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革命(1979年)前のイランの首都テヘランでは(フランス的)文化が発達していて、豪華な歌劇場「ルダキ・ホール」で色々の歌劇やバレーが楽しめた。
ここを中心に、先年亡くなったフランス人バレー振り付け師、モーリス・ベジャールは、皇后ファラー・パフラヴィの支持を得て、ペルシャ風の独特の世界を作っていった。

そこでの小さなことが忘れられない。
プログラムに仏語でcompagnie(=Opera Company、Ballet Company)とあった。
商社マンとしては「Companyとは会社」以外には思いつかず、どういうことか?と訝ったものである。

しかし、辞書を引けば簡単。Companyとは交際、交友、仲間、客、人前、一団、連中のあとにやっと会社、商会と出てきて、むしろビジネス色は少ない。

少し調べると、(俗ラテン語)companio(一緒にパンを食べる仲間の意)から、とある。なるほど、comは「共に」だし、パンはpain(仏語)、pão(葡語)、pan(西語)だ。 人間にとり食べることは重要で、聖書にもthe glorious company of the Apostles

(十二使徒団)の最後の晩餐(last supper)ほか、そこここにパンが登場する。
「同じ釜の飯を喰った仲」とまさに同じ表現で興味深い。

色々な用例がある。in company (with ...)(…と)いっしょに, 共に;人前で、enjoy a person's company人との同席を楽しむ、He's good [bad, poor] company.彼はつきあって楽しい[おもしろくない]、invite company to tea客をお茶に招く。
ビジネスニュアンスでは、(中世の)同業組合、ギルド、乗組員(ship's company)、消防隊、さらには米諜報機関CIAをも指す。

このCompanyをMy Companyか、又はYour Companyとするかは、実は「会社のあり方」あるいは「会社は誰のものか」という重要課題に直結する。米国における株主向けの年次報告書には例えばこうある。 


Dear Shareholders (株主各位),


I am writing to you what we did last year. Your company turned in another good year in 2010.


ここでの「I」は社長、「You」は株主であり、「我が社」といえるのは、お金を出した人だという思想だ。それは(日本的)愛社精神Loyalty to the Companyをベースに社員が普通に使う、我が社、弊社、うちの会社という表現とは決定的に違う。
世界最大のヘルスケア会社Johnson & Johnsonではその分社分権化経営を「Family of Companies」と表現している。

これを念頭に歴史を紐解くと、福沢諭吉翁は創設した慶応義塾をカンパニーとして「社中」という表現をした。又、日本で最初の株式会社と言われるのは亀山社中(後の海援隊)。坂本龍馬薩摩藩や長崎の豪商の援助をうけて慶応元年(1865)に設立したものだが、○○社中というのは日本の古典芸能における「仲間,同門、結社,組合」であり、先述のオペラ・カンパニーやバレー・カンパニーと同義だ。 さて、亀山社中は誰のものだったのか?

会社生活にはいろいろ苦労も多い。そんな時には、drinking companion飲み友だちと一緒に、昔はやった米学生歌♪ビブラ・カンパニー=愉快な仲間♪(なぜかフランス語vive la compagnie)を歌えば元気がでてこよう。

(社)日本在外企業協会 「グローバル経営」(2009年12月号)拙稿より転載・加筆

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