浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第25回】 Bata -靴に見るグローバル経営―

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チェコ、ブルノ市にて (筆者撮影)


2010年12月10日

 

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 ナイアガラの滝はアメリカ側とカナダ側に分かれる。蹄鉄(shoe)型のカナダ側のほうが雄大だが、そこに渡るにはパスポートが必要で「国境」を実感する。交通標識が(アメリカ)のmile表示から突然km表示になったことをなつかしく思い出す。そこからケベック州につながる800KmのHeritage Highway(歴史街道)の美しいmapleの紅葉の中を少しいくとトロント市だ。

そこで「Bata」とある近代建築を見つけて驚いた。インド・東南アジアで見かける靴(shoe,footwear/footware)の店である。それがここまで進出しているのか?

尋ねると何と逆にここがWorld Head Quarterとのこと(当時。現在はスイスのLausanne)。 

そこのBata靴博物館には世界の靴満点が展示されている。

Bataとは1894年、オーストリア・ハンガリー帝国(現在のチェコ共和国)のZlinで靴職人だったThomas Bataが設立した製靴工場である。なぜか日本ではお目にかからないが、現在世界50ヶ国に4万人の従業員と店舗5,000を有している。25ヶ国に40の生産拠点を持ち、1日百万人に販売するという同族非公開のグローバル企業だ。

1919年の訪米時に創業者はフォードの大量生産方式に感銘をうけて工場近代化を図った。その後1929年までに、スイス、ドイツ、英国、フランス、ユーゴ、ポーランド、オランダ、米国そしてインドに生産拠点を広げた。第二次世界大戦中はドイツNAZIを逃れて海外に拡散、加えて1948年、チェッコスロバキア政府により国営化されたことから、結局1960年代にトロントに世界拠点をおいたという。

「家族経営」を念頭においたBata氏は、トロント本社にと「BATWA」と名づけたコミュニティーを開設した。地名ともなったBATWAには工場、病院、学校、住宅などを建設し、まさにBATA-Villageともいうべき存在になっている。

このグローバル企業史への興味は尽きないが、生活必需品shoeという言葉にも企業人に参考になる表現がある。If the shoe fits, wear it.(-批判などがー自分に当てはまるとおもうなら、それを受け入れよ)とかin someone’s shoes(その人の身になる)は有用な格言だ。

優秀な前任者から引き継ぐと中々重荷 get some big shoes to fill

その苦労(靴がきつくて痛い場所)は本人しかわからない。

Only the wearer knows where the shoe pinches.

でも、Put on your dancing shoes. と言えば何か良いことが起きそう。

Shoeは「対」ゆえ、a pair of shoes, The shoes are mine.と複数の形をとる。日本語化したスリッパも同様で、slipperでは「片方のスリッパ」となる。因みにシンデレラの「ガラスの靴は」はglass slipper。関連で言えばathlete’s footというのはアメリカのスポーツ靴店の名前だが、水虫のことでもありおかしい。

極めつけは、ある未開国に派遣された二人の靴販売員のビジネス逸話である(Bata社のことかもしれない)。両人とも現地の状況について”No one wears shoes.”と電報で本社に報告した。そして一人は”So, no sales here.”と結論づけた。もう一人は興奮気味にこう結んだ:

“So, huge market. Everyone needs shoes.”

さて、あなたならどちらを結論とされるだろうか?

インドネシア、マナドにて

(社)日本在外企業協会 「グローバル経営」より転載・加筆

■ 関連サイト

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