(承前)
【第325回】 飛鳥クルーズ体験 (1/2) - 浜地道雄の「異目異耳」
洋上での豪華サービスに続いての楽しみは寄港地上陸だ。清水港(みなと)。
港に近づくにつれて富士山が次第にくっきり。
そして下船して、船の巨大さに改めて驚き。
さて、目指すは街道一の次郎長親分。
【第127回】清水、次郎長、英語力 - 浜地道雄の「異目異耳」
2016年、JALT Japan Association of Language Teachers 全国語学教育学会以来の「再会」だ。
場所は親分が晩年経営してた船宿「末廣」の二階。日本で最初の英語塾、1876年、明治9年!
清水港船宿記念館「末廣」|【公式】静岡のおすすめ観光スポット/駿府静岡市~最高の体験と感動を
親分は富士裾野の開墾やお茶輸出による港の発展に尽力した。その過程(貿易・輸出)で英語の必要性を実感したに違いない。
さてその「栽培、販売、輸出」に当たっての「物流」が即ちロジスティックであり、何故かドイツ語で言えばFerkehrだ。そのフェルケール博物館が近くにある。
当時の回漕船のモデル展示に並び、「茶JAPANESE TEA」の茶箱の意匠を凝らした数々のシールに惹かれる。
清水港湾博物館・フェルケール博物館-人・海・未来がふれあう---"みなと"
付記:(緑)茶の輸出ということで、思いはボストン茶会事件に跳ぶ。
【第93回】 ボストン・緑茶事件 - 浜地道雄の「異目異耳」
1773 年とのことゆえ、親分(1820~1893)が清水港から輸出したものではないのだが、ロマンを感じる。
関連拙稿:ジョン万次郎の英会話教本。1859年