浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第327回】飛鳥クルーズ体験(2/2) ~ 清水港に次郎長親分を訪ねる

(承前)

【第325回】 飛鳥クルーズ体験 (1/2) - 浜地道雄の「異目異耳」

洋上での豪華サービスに続いての楽しみは寄港地上陸だ。清水港(みなと)。

港に近づくにつれて富士山が次第にくっきり。

プール付き甲板から富士山に向かって

そして下船して、船の巨大さに改めて驚き。

いやはや大きい!

さて、目指すは街道一の次郎長親分。

【第127回】清水、次郎長、英語力 - 浜地道雄の「異目異耳」

2016年、JALT Japan Association of Language Teachers 全国語学教育学会以来の「再会」だ。

寺子屋風英語授業 (撮影許可済)

場所は親分が晩年経営してた船宿「末廣」の二階。日本で最初の英語塾、1876年、明治9年

清水港船宿記念館「末廣」|【公式】静岡のおすすめ観光スポット/駿府静岡市~最高の体験と感動を

親分は富士裾野の開墾やお茶輸出による港の発展に尽力した。その過程(貿易・輸出)で英語の必要性を実感したに違いない。

さてその「栽培、販売、輸出」に当たっての「物流」が即ちロジスティックであり、何故かドイツ語で言えばFerkehrだ。そのフェルケール博物館が近くにある。

当時の回漕船のモデル展示に並び、「茶JAPANESE TEA」の茶箱の意匠を凝らした数々のシールに惹かれる。

清水港湾博物館・フェルケール博物館-人・海・未来がふれあう---"みなと"

輸出茶箱の数々のルJAPAN TEAシール (撮影許可済)



付記:(緑)茶の輸出ということで、思いはボストン茶会事件に跳ぶ。

【第93回】 ボストン・緑茶事件 - 浜地道雄の「異目異耳」

1773 年とのことゆえ、親分(1820~1893)が清水港から輸出したものではないのだが、ロマンを感じる。

 

関連拙稿:ジョン万次郎の英会話教本。1859年

【第131回】スターバックスコーヒーとジョン万次郎の意外な関係 - 浜地道雄の「異目異耳」