浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第14回】 想いでのSanforize


2009年10月27日

 

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中東ビジネスにおけるthrilling な経験のひとつが、シリアのダマスカスにあるアラブ連盟イスラエル・ボイコット本部」での交渉だ。

Central Office for the Boycott of Israel (OBI)はパレスチナを支援するアラブ諸国イスラエルを経済的に孤立させるために取ったボイコット運動開始とともに1951年5月設立された。

記憶ではコカコーラはサウディアラビアでは代理店の名をとりKaki-Colaとして販売されていた。
「商品」だけでなく、エリザベズ・テーラなどユダヤ系人の「文化活動」も許さないというのだから厳しい。モンブランの雪を模したといわれる万年筆のキャップのマークがイスラエルの象徴「ダビデの星」と似てるというのでボイコット。

イスラエルには日本車はアラブを恐れてスバルしか輸出されてなかったし、旅券にイスラエル入国スタンプがあると、アラブには再入国できない。
ことほど左様に「ともに天を仰がず」の関係を肌で知っているだけに、ダマスカスという旧約聖書から新約聖書の時代の最古の都にあっても歴史宝庫見物どころではない。 緊張のOBI訪問の目的はサンフォライズの解除だった。

サンフォライズとは米国のSanford Lockwook Cluett(1874-1968)が発明し、Sanforized™ として1930年に登録された綿生地の「収縮加工」(pre-shrink)技術。Sanfordという個人名にsuffixes(接尾語)-izeをつけて「動詞化」Sanfor-ize(d)したという面白い例だ。

どうやらSanfordがユダヤ人というのがボイコットの理由だが、しかし、アラビアへの輸出主要品のトーブ(民族衣装)用の生地が禁止だと、生活上困るわけだ。
「日本(のメーカ)とアラブは親密で結ばれねばならない。この技術を禁じられると、お互いの友好が成り立たないではないか」と熱弁を振るったように記憶する。それが奏功したのか、後年、解除された。

さて、サンフォライズについては興味深いジーンズの歴史がある。1870年代、ゴールドラッシュに沸くアメリカ。リーバイ・シュトラウスがキャンバス生地に銅リベットで補強した作業着が好評を博したのが原型。水洗いをして縮むのが当たり前で、“shrink to fit”と、自分の体に合わせて縮むからこそ素晴らしいとされていた。
1947年、ラングラーはこのデニム地に初めて「サンフォライズ加工」をした。つまり「収縮しなくなった」というのが、大変化である。ジーンズのフロント部の開閉はBUTTON FLY(ボタンタイプ) だった。1926年、H・D・リーは最初にZIPPER FLY(ジッパータイプ)を採用したが、生地が縮むのでは具合が悪かったろう。ところが、サンフォライズ加工をすると、つまり生地が縮ないから「ボタンからジッパー」が可能になった。これは、好事家にとってはいまなお大事な「争点」のようだ。
因みに、Cluettは同じ原理で、クラフト紙にひっぱり強度を増す技術を発明。その名をとったClupak紙(伸張紙extensible paper)が包装紙などに使われている。

ボイコット会議の開催は1993年の和平交渉から緩和で同年が最後と聞くが、近頃、また緊張のイスラエルパレスチナ問題。伸張extendでなくshrink収縮であってほしい。

(社)日本在外企業協会 「グローバル経営」より転載・加筆

■ 関連サイト
イスラエル・パレスチナ紛争に思う「西東管弦楽団」