浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第69回】 英語ができるようになった瞬間!?


2015年01月15日

 

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ウドウロク by 有働 由美子。詳細はこちら

有働由美子さん。
言わずとしれたNHKの人気アナウンサーだ。
その有働さんが初めて本「ウドウロク」(新潮社)を出したというので早速読んでみた。
45年(と自分で書いてる)の人生での特記事項は3年間のニューヨーク勤務とのこと。

音楽好きの筆者(浜地)はふとした縁でNYフィルハーモニーによるYoung People’s Concert(バーンスタインが始めた子供の為の音楽会)の日本公演を手伝った。有働さんにはそれにまつわるイベントを紹介したことがある。因みに、NYフィルの指揮者はアラン・タケシ・ギルバードAlan Takeshi Gilbertという日系ハーフ。NYフィルの170年の歴史の中で初めてのNY生まれの指揮者だというのだから、いかにも多文化・多人種のアメリカらしい。
参照:

【第153回】「NYフィル・バーンスタイン・小澤征爾」 映写会 (於:NYC) - 浜地道雄の「異目異耳」



さて、その彼女のNY生活の中で「英語ができるようになった瞬間」というエピソードが興味深い。
時は2009年、1月15日。エンジン故障の飛行機がパイロットの判断で
ハドソン川に「不時着」。乗客全員が助かったという事件だ。

当日、のんびりしてた有働さんのところに、東京の本部から事故の取材せよとの突然の指令。急ぎ現場に駆けつけるが、機体はドンドン南に流れていく。焦り! だが、米人アシスタントからの情報は待てども来ない。何と、氷点下6度の真冬のこととて、本人は車の中で暖をとってた、というのだ。

怒った有働さんは思わず、その助手をなじった。が、相手も言い返して来る。で、またやり返す。英語でーー(当たり前)。そこで、有働さんははっと気が付いた。(従来のように)まず日本語で考えて頭で翻訳してというのではなく、「使える英語」を実践してる自分に驚いたのだ。そして、そのこと自体に酔って、怒りも和らいだという。

さいころから英語塾に通い、英語ができる子供と「プチ称賛」され、社内の自己申告には「英語で交渉ができる」と書き、又、赴任直前には英会話学校で特訓した。にも関わらず「本場、アメリカ」に来て、何と駄目なのだろうと思ってた自分。それが「絶対に必要な場面」で、それこそネイティブを相手にペラペラとやりあってる自分に驚いた、という記述はほのぼのとしており、かつ示唆的だ。
これを機に、指示は的確に出せるし、TVの言ってることはわかるし、生活が楽しくなったというのだ。

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この新年早々のできごと、ハドソン川不時着事件は筆者(浜地)も記録に残している。NYのラガーディア空港を出発したUS-Airways1549便(A320機)が突然、エンジン不調。とっさの機長の判断で、マンハッタン西側を流れるハドソン川に不時着。乗客155人が全員無事だったという快挙だ。

機長の交信には「Double bird strike」とある。即ち、Canadian Geeseが飛びこみ、エンジン二台が故障したということ。これなど、我々Non-Nativeにはとてもわからない。

万策尽きて、自動操縦から、機長自らの手動操縦への切り替えは「37秒の決断」として讃えられた。「航空史上に残る理想的な不時着水」The most successful ditching in aviation historyだ。この間、離陸から三分間の出来事。
Imagination想像力、Creativity創造力、Cooperation with other crew members他の乗務員との協力。かつ、機長は不時着後に乗客が脱出した後、だれも残っていないことを確かめるために自ら機内を2度見回った、というから「fine airmanshipあっぱれな飛行家精神」だ。

これは航空システムに限らない、ビジネスをはじめ社会生活上の教訓である。
Courage is grace under pressure(ヘミングウエイ)、苦境にあっても「優雅さ、ゆとり」を失わないことが勇気なのだ。
参照:ビジネスに不可欠な体液=ユーモア

一般社団法人日本在外企業協会「月刊グロ―バル経営」(2015年1/2月合併号)より転載・加筆。

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