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本2024年7月から新しい紙幣が発行された。
ビジネスという視点からすれば一万円札(渋沢栄一)が特記に値いする。
生涯に亘り500を超える企業設立や約600の社会事業に関与など枚挙にいとまがない。
多くの伝記、解説があるが、何故かあまり話題にならないのは渋沢翁が一番長く携わった事業「東京養育院」だ。
時の大久保一東京府知事(明治5年、1872年~)はロシア皇太子来日に際し、浮浪者の収容施設として営繕会議所養育院を設立した。
そして、明治9年、営繕会議所自体は無くなったのだが、東京商工会議所の共有金取締だった渋沢翁は36歳にして養育院運営の代表者となった。
それから91歳で逝去するまで、57年間(明治7年1874年~昭和6年1931年)養育院の運営責任者を務めた。
最後の言葉は「養育院のことは宜しく頼む」とのことであった由。
この思いの根底にあるのはPhilanthropy。Philとは愛、anthropos (ギリシャ語)は「人間」だ。人類への愛に基づいて人々のWellbeing 即ち、QOLなどの改善を目的とする利他的奉仕活動、又、その目的のために時間、労力、金銭を捧げる行為だ。
他方、渋沢翁は「弱者を救うことが経済的」と偽善とは対極にある慧眼を示している。
翁は生涯4度、米国を視察し多くの企業経営者らと面談し、その、企業の在り方の重要要素として社会貢献、今でいうメセナにも接した。
そして、1867(慶応3)年、徳川昭武遣欧使節団に随行し、第二回パリ万博を訪問した。同万博ではアンリー・デュナンが万国赤十字運動の初めての展示を作り、広報に尽力している。そのパリ訪問時には渋沢翁は現地の病院も見学し、そこで受けた社会政策の在り方が後年東京養育院を引き受けることになった要因と言われている。
その後紆余曲折があり、結果、東京養育院は解散、現在、翁の遺志は2009年4月に発足した東京・板橋区にある(地方独立共生法人)東京都健康長寿医療センターに継がれている。
その英文表示はTokyo Metropolitan Institute for Geriatrics and Gerontology (TMIG)。
Geriatric は老年に関連する形容詞であり、老人、彼らの健康状態、そして老年に固有の疾患や問題に対処する医療分野を指す言葉。Geriatric は、1909年に英語で形成された言葉で、ギリシャ語のラテン化された形から派生した。
その歴史は古く、すでに1903年にフランス・パスツール研究所での「長寿」に関する研究をGerontologyと命名したとされる。
1930年代以降、主に米国を中心に発展、現在も約250の大学や研究機関で研究や教育が進められている。
病院の歴史|病院について|地方独立行政法人 東京都健康長寿医療センター
冊子「東京都健康長寿医療センターの歴史」には病院と研究としていくつかの注目すべき言葉が記されている:
Healthy Aging健康長寿、Living Well with Dementia認知症、Care and Research for Prefrailtyフレイル予防、Multi-disciplinary Education健康長寿医療研修。
いずれも馴染みのない英語だが、人生100年時代era of centenariansの到来を前にいま、日本でもジェロントロジーを注目せねばならない。
養育=養(Foster弱者の救済)+育(Education啓蒙、育生)。
渋沢翁の巨大な像の前に立ち、改めてその偉業「養育院」から「弱者を救うことが経済的」というビジネス訓を想う。
(一社)日本在外企業協会 「月刊グローバル経営」誌11月号Global Business English File第104回拙稿より転載加筆。