浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第236回】注目すべき日経解説記事 ~ 迷走したコロナの科学

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日経解説記事「迷走したコロナの科学」

 

コロナ・パニックが発生して、ほぼ二年。筆者(浜地)は以来「コロナは本当に怖いのか?」と疑問を抱いてきた。 

「専門家」は終始「感染、感染、自粛、自粛、マスク、マスク」と連呼し、TVワイドショーを中心に「殺人伝染病」的恐怖感が茶の間に送り込まれ、市民の心に刷り込まれてきた。 

が、政府(厚労省)発表の統計によれば、この8月半ば以降、即ち、懸念されたオリンピック以後、新型コロナウイルスの国内感染者数は一気に減っている。 

しかし、その(減少)原因について専門家からの「科学的説明」は聞こえてこない。

ということは、元々、「感染、感染」と繰り返し、教育をはじめ社会生活を混乱させてきた自粛警告には科学的根拠があったのだろうか、と疑問が生じる。 

そこへ、本11月20日(土)の日本経済新聞朝刊に注目すべき論考が大きく掲載された。p.9、Opinion欄、「迷走したコロナの科学」(矢野俊彦同紙編集委員)。 

「私たちは科学の本質を見極め、そして対話ができただろうか」という疑問から同氏の論考は始まる。

続いて、日本固有の感染抑制要因として「ファクターX」が挙げられている。これはノーベル医学・生理学賞受賞(2012)の京都大学山中伸弥教授の言葉だ。同教授はその前触れとして「私は感染の専門家ではない」と明言しており、つまり、「分からない」と言ってるわけだ。 

そして又、「時間の壁」が指摘されている。「対コロナでは査読を経ないプレプリント論文が氾濫し、客観性を裏付ける科学の根幹ルールが社会のスピードに追いついていない」――。

即ち、本来きちんと時間(と英知)をもって検証すべき治験Clinical Trials(期間)が,意図的に(異様に=非科学的に)短縮されているのではないか。 

「科学の力は社会に受け入れられてこそ生きてくる。コロナ禍で得た教訓である」と矢野俊彦編集員の論考は締めくくられている。 

エヴィデンス(証左)が示す通り、日本における「死亡者数」が奇跡的に少ない。即ち、経済学シカゴ学派碩学F.ナイトの「不確実性」論(1921)を基に科学的に検証が期待される。筆者(浜地)の解釈を含めば「エヴィデンスのない推測はお化けがいつ出るかという恐怖感を煽る」

関連拙稿:                               【第232回】日経記事(リスト)に学ぶ~コロナは本当に怖いのか? - 浜地道雄の「異目異耳」

 矢野氏の論考における「科学」とは「自然(医療)科学」を指すわけだが、そこに「社会(経済)科学」と重ねて合わせると、問題点がさらに明らかになる。

即ち、今ここでコロナ・パニックについて、「奇跡的に少ない死亡者数」の科学的検証が焦眉の急である。

以上、筆者(浜地)の「一市民=非専門家」としての見解だ。         これがNormalization正常化、「コロナ前」の暮らしを取り戻そう!市民の会声明の原点である。

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同市民の会では「緊急シンポジウム:新型コロナワクチンを考える~ワクチン後遺症、ブレークスルー感染、接種証明~」を開催する。12月11日(土)13時~、於:横浜市瀬谷公会堂