2009年01月01日
Whirling Dervish |
新年、静かな朝、春の海の音(ね)。日本人のこころにしみ込んだ文化そのものである。
一月一日、元日の朝は元旦。「旦」(朝、明け)とは地平線「_」の上に「日」の出る様から、とみごとな「象形」だ。それはまさにOrient、ラテン語で「日が昇る(方角)」そのものである。
オリエントとはローマ世界から見る「東方世界」であり、トルコのボスポラス海峡から東の地域、近東、中東、極東、と学校で習った多様な世界である。
「幻想・偏見をもっている」と西洋を批判したオリエンタリズムOrientalism(Pantheon Books)の著者、エドワード・サイード(1935 - 2003)Edward Wadie Said*からして、エルサレム生まれのキリスト教徒、パレスチナ系アメリカ人と多様な経歴である。
New York TimesのTom Reissが5年をかけたという力作THE ORIENTALIST(Random House)は、オリエント異文化の十字路バクー(アゼルバイジャン)に生まれて国際的に活躍した作家Lev Nussimbaum(1905 - 1942)の数奇な運命を描いている。ユダヤ人ながらイスラム教に改宗したが、そのクリスマスを祝う写真には驚かされる。同書の中で、イスラム教シーア派の重要宗教行事アシュラーで自分の体に鎖を鞭打って哀悼の意を表す、とされているのがDervishである。
近頃、日本のBall Game(球技=野球を指す)でダルビッシュという若手投手の活躍が耳に目に入り、「はて?」と思い聞いてみると、同投手の父君はイラン人とのこと。トルコからイランへの結びつきを考えた。その名を「有」。「ゆう」と発音するが、父君は「アリ=Ali」を念頭においたのだろうと想像できる。アリとはシーア派Shiiteの初代Imam(=指導者) Ali ibn Abi Talibである。
日本の一部解説ではダルビッシュの意味を「貧乏人」としていたが、それは違う。へりくだって自ら贅沢生活を放棄した、いわば清貧という意味である。イスラム教の神の前にあっては人間みな平等。物欲を抑え、家々を托鉢して回り生活の糧を得ながら各地を遍歴する修行者を指す。トルコ東南部コンヤでのスーフィー派のDervishの「回る舞踏姿」はユニークだ。
ビジネスに宗教の話はタブーとされているが、文化・風習は優れて宗教であり、実際は「正月」をはじめカレンダー(暦)感覚が不可欠である。所変われば品変わる(So many countries, so many customs)。マンハッタン、タイムズスクエアでのカウントダウンは派手だが、日本の正月の風情はない。
トルコの父(アタチュルク)ケマル・パシャは1926年、イスラム暦を廃止、太陽暦を採用した。出張先のイスタンブールで年越しとなり、氷雨のルミリ・ヒサル要塞でボスポラス海峡越しに故国・家族を偲んだことを思い出す。イランの新年はゾロアスター教に由来するノウルーズnowruz。now は「新しい」、ruzは「日」を意味する。太陽が春分点を通過する春の日、こころが弾んだ。
「日が昇る方角」Orientalが東なら、「太陽が沈む」西は Occidental。ギリシャ語神話の北風の神「Boreas(ボレアス)」を語源とするBoreal は「北(方)の」を意味する。ラテン語のAustral とは「南」でオーストラリアの語源。
こんなロマンを考えながら、多様なNEWS (North 北、East東、West 西、South南)に思いを巡らし、Dervish(清貧)な年の初めを迎えたい。
折しも、世界の「金融システム」の見直しが叫ばれているーーー。
(社)日本在外企業協会 月刊「グローバル経営」(2008年一月号)より転載・加筆
■ 関連サイト
【第92回】ダルビッシュって誰? - 浜地道雄の「異目異耳」
【第182回】1989年私のワイマール ~ 西東詩集管弦楽団 - 浜地道雄の「異目異耳」