浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第150回】東京・恵比寿「亜米利加橋」たもとのBar「Cam」

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American Bridge @恵比寿

 

2008年7月14日

 

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魅惑の「亜米利加橋」ビル

セントルイス万博(1904年)の橋を、当時の日本国鉄が買い取ってはるばる日本まで運んできて、1926年に設置した「アメリカ橋」。その歴史に改めて思いを寄せながら、カウンター越しに恵比寿ガーデンプレイスを正面に見るのは中々の風情である。

 

東京、JR恵比寿駅の南側、サッポロビールの恵比寿工場跡地を再開発した恵比寿ガーデンプレイスの入り口。山手線を跨ぐ通称「アメリカ橋」。

写真を撮っていたところ、後ろから突然「浜地さん!何してるのですか」と声をかけられた。振り向くと旧知の若き友人、いわゆるベンチャー企業家だ。

北川寛人氏は2年前にIT系企業を「卒業」し、今はWebコンサルティングとインターネットサービスの運用に加えて、どうしたことがBarの経営をやっている由。

http://www.personalbusiness.co.jp/execs.html

ITとの結びつきがすぐに浮かばぬまま、「Barって飲むところ?」と訝る私に「すぐそこです」と指差す先はなんと「アメリカ橋」のたもと。  

花・金とあって、「America Bashi 亜米利加橋」とあるCafeに多くの外人がたむろし、マンハッタンのアッパーウエストを思い出させる。  

そして、黄昏にそのビル全体がひときわ魅惑的なイルミネーションで 覆われ、上部には「American Bridge Company」とオレンジ色のネオンが輝いている。

急な細い階段を上がったところが件(くだん)のBar。 名づけてCamというよし。

恵比寿のバー|cam 〔カム〕

 入ればマンハッタンのSOHOにありそうなコンクリートの打ちっぱなしの室内にカウンターという簡素ながらも魅力的なスタイル。  

「少しは節制しなさい」と家内に怒られて、ちょっとでも酒の量を減らそうかと考えていた矢先である。何と間が悪い(良い?)こと。  

普段は居酒屋で日本酒党なのが、早速ジントニックを注文して、尋ねる。

「どうしてアメリカ橋って言うか知ってる?」 

「どうしてって、アメリカ橋という歌に因んででしょ?」  

ブー! ハズレーー。  

とそこから、筆者の薀蓄が自慢げに始まる。  

https://hamajimichio.hatenablog.com/entry/2020/11/29/000000 

ニューヨーク郊外に京都御所風の寝殿造りと広大な日本庭園があり、それは1904年のセントルイス万博の日本館を持ってきたもの。  

高峰譲吉って知ってる?」   

「そのセントルイス万博の時の橋を当時の日本国鉄が買い取ってはるばる日本まで運んできて、1926年にここに設置したのが由来――」  

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橋のたもとの小さなプレート

 

小さくわかりづらいが、橋のたもとの「AMERICAN BRIDGE COMPANY OF NEW YORK 1906 U.S.A.」というプレートは時代を示している。 

「なるほど、毎日見てるこの橋にそんな由来があったとは」と素直に店長は感心してくれ、ブログにも掲載してくれた。

http://hirotokitagawa.livedoor.biz/

酔眼朦朧まではいかないが自慢話はまだ続く。

「そのセントルイス万博で恵比寿ビールはグランプリ受賞しているし、ホットドッグ、ハンバーガー、アイスティーが初めて提供されたのも同万博の時――」  

かくして、「アメリカ橋」の歴史に改めて思いを寄せながら、カウンター越しに恵比寿ガーデンプレイスを正面に見るのは中々の風情である。  

ITとバー経営(とスキューバ・ダイビングのコーチとのこと)。  

珍しい取り合わせだが、若人のベンチャー(冒険)が報われますように。