浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第129回】元アフガン大使、難民状態から永住権へ!

 

2005年6月7日

 

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アフガニスタンの繁華街、男性一色 (浅井聡氏撮影)

9.11以後、アフガニスタンという言葉がメディアに登場するのに、日本人はどれだけ同国を理解しているだろう?元アフガン大使の日本での難民生活を知って驚愕した。

 

9.11以後、これだけアフガニスタンという言葉がメディアに登場するのに、日本人はどれだけ同国、同国人を理解しているだろう?  

他日、埼玉県の団地で元アフガン大使が難民生活をしてる、と聞いた筆者は驚愕し、コンタクトし、身元引受人となった。  

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故郷のハッサニさん(真中)(浅井聡氏撮影)

靴職人の子として生まれたハッサニ氏は、カブール大学医学部に進学。軍医として従軍、脱走。1992年駐日大使として東京に着任したが、タリバーン支配となり、帰国もできず、1993年、政治亡命者になった。問題は生活。妻と5人の子供、一家の生活をどう支えていくか?日本で生まれた3人の子供は無国籍だ。  

 

この様子は産経新聞にて取り上げられた。

https://web.archive.org/web/20031006045423/http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2003/0303/ronbun-3.html

一家はその後千葉県四街道市にアフガン料理店を開設し、苦労しつつがんばっている。

!Afghanistan Bamyan Restaurant in Japan-AtKjX^¿@o[~@Xg-

 

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入国管理局でのハッサニさんと息子と共に

折しも、インターネットでの呼びかけに応じて、ボランティアで身の回りの世話をしてくれることになったのが地元のミルクマン、浅井聡氏である。「国際化って身近なことなんですね」と本当に粉骨砕身助けてくれた。  

そのボランティア振りは実に献身的。家業をおいて、現地アフガニスタンまで飛んだり、専門家に頼むと金がかかるので入国管理の諸書類を書き、何度も足をはこび、涙ぐましい努力をしてくれた。  

そして、とうとう一家(何と新生1歳児もいる)に永住権が認められた!そのお祝いもあり、今週末、四街道の店に集まる。そこはもうイスラム一色。

インターネット新聞 「JANJANより転載・加筆。