浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第246回】ラッセル・ホテルからパグウオッシュへ

f:id:TBE03660:20220228225413j:plain

ラッセル・ホテル ロンドン (旧HP)

2月24日、ロシアがウクライナ侵攻を開始した。

それを受けて日本パグウオッシュ会議が抗議声明を発出した。

ロシアのウクライナ侵攻に関する声明

同会議の第1回会議は1957年7月カナダのパグウォッシュ村で開かれ、日本からは湯川秀樹教授、朝永振一郎教授、小川岩雄助教授が出席した。

同会議発足の原点は1955年7月ロンドンにおけるラッセル・アインシュタイン宣言だ。

そのバートランド・ラッセル卿の名を冠したラッセル・ホテル。

 

筆者には懐かしい思い出があり、ここに再記する(2005/07/11)。

念願のラッセホテルに初めて投宿時、日本書籍展が開催されていた。周辺には日本と縁のある場所も多い。そのラッセル広場駅で突然のテロ事件。

7日現地時間午前、ロンドン中心部で同時多発テロが発生した。中では、21人の死者を出した一番大きな爆発は、ラッセスクウェア駅とキングスクロス駅の間で起きた。

 ラッセル・スクウェア駅の近くには、小さな公園に面した威風堂々の建物がある。それがラッセル・ホテル(Hotel Russell)である。

 数学者であり哲学者のバートランド・ラッセル卿(1872~1970)にちなんだこのホテルで、イギリスのトップ19大学の学長が会合を持つことから、それらが「ラッセル・グループ」と名付けられているほどの格式である。一方、ミュージカル「キャッツ」はこのホテルに住む猫たちの物語、という楽しい舞台でもある。

 建造された1899年は岩倉具視使節団に同行、米国で勉強した津田梅子がオックスフォード大学に留学した年、津田塾を設立する1年前である。

 先年、念願の同ホテルに初めて投宿時、ロビーで「Book Fair」という看板が目に付き、「おや」と思い尋ねてみた。この古いホテルでの書籍展とは「PBFA=Provincial Booksellers Fairs Association」という古書専門協会とのこと。日本人だと知ると「欧州最大の幕末以来の日本関連図書在庫がある」といって張り切って出してくる。

 ラッセル広場の向こうに広がる
UCL(University College London)は1826年の創立で、岩倉使節団副使だった伊藤博文が留学し、小泉純一郎首相もここで勉強した由。

 色々と日本との古き関係がしのばれ、「とにかく古いことはいいことだ」と主張する姿勢に改めて感心させられた。しかし、ホテルの痛みは激しく身売りした先は何と「Nomura」とのことだった。

 幕末、明治の伊藤、津田から急に小泉、野村という名前が出て来る「時代の流れ」。そんな心地よい回顧をしてたら、そのラッセル広場駅で突然のテロ事件。核兵器廃絶と平和を訴えた「ラッセル・アインシュタイン声明」からまさに50周年というタイミングである。

 ラッセル卿は福竜丸の死の灰事件となったビキニの水爆実験(1954年3月1日)を「人類の危機」ととらえ、湯川秀樹博士を含むノーベル賞受賞者11人の手で「ラッセル・アインシュタイン声明」を発表した。これが丁度50年前の1955年7月9日のことである(案文にアインシュタインがサインしたのはその死の2日前だったとのこと)。

 ラッセル卿は人生を支配してきた強い3つの情熱として、愛への熱望、知識の探求とならんで「苦悩する人類のために注ぐ無限の同情」を挙げている。

 テロ事件の犯人がイスラム過激派との断定は、今の時点ではできないが、中東紛争の根には「宗教」「エネルギー」とならび「経済(貧困)」がある。

 今回(2005年)のグレンイーグルズスコットランド)でのG8サミット*でもテロ対策、気候対策とならび「貧困対策」が議長総括されている。混迷の世界情勢打破に最重要な課題であり、世界第2の経済大国日本の果たす役割大である。

 

*ロシアが参加していた1998年から2013年までは、G8主要8ヶ国首脳会議と呼ばれていた(以外はG7)。2014年、ロシアによるクリミア併合により「除名」。

3月24日、G7首脳がハーグ宣言を発出、6月4日~5日にソチで開催予定だったG8サミットを取り消し。ブラッセル(EU本部がある)でのG7サミットとした。

【第249回】ウクライナを巡る、深い、深い、ヒューマン・ストーリー - 浜地道雄の「異目異耳」

 

参考:History – Pugwash Conferences on Science and World Affairs