浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第227回】松本清張が『魔笛』(モーツァルト)を語っていたとは!

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過ぎ行く日暦、松本清張 新潮文庫

 

 

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      創作ノートに秘かに記されていた『魔笛』をめぐる構想

2009/05/28

 今年は、松本清張生誕100年である。北九州市小倉にある松本清張記念館をはじめ、各地でさまざまの行事が行われるようだ。

 筆者も清張への思いを元に、NYからムンバイ、イラン、そして日本の飛鳥・正倉院まで、グローバルに駆けめぐるロマンを記した。
 【ムンバイ同時テロ】タージ・マハール・ホテル炎上に思う 2008/11/28
 主題は「ゾロアスター(拝火)教」だ。

 ゾロアスター、すなわち、ニーチェによる「ツァラトゥストラはかく語りき」(Also sprach Zarathustra)だし、リヒャルト・シュトラウスの同名交響詩だし、スタンリー・キューブリックの映画「2001年宇宙の旅」だし、マーラーの「交響曲第3番」(の第4楽章)だ。

 そして、忘れてならないのは『魔笛』(モーツァルトの最後のオペラ)だ。そこでは「昼(光)=善」と「夜(闇)=悪」の対立が主題だ。主人公、光の代表者である「ザラストロ」こそ、ゾロアスターに他ならない。しかし、この点、つまり『魔笛』とゾロアスター教の関係を説明した解説書は専門書にも多くはない。

 ところがなんと、松本清張が解説をしているのである。
『過ぎゆく日暦(カレンダー)』。何というノスタルジックで心をうつ表題だろう。
 参照:『過ぎゆく日暦』 新潮社

 紹介文はこうだ:
 「広大な“清張文学”を支えていたものは、倦(う)むことのない取材と、こまめに記けられた『日記』であった。〈流れ作業〉で解剖が進むニューヨークの死体収容所。文豪・鴎外を始終悩ませた家族の不和。ゾロアスター教の拝火殿を眺望しながら、モーツァルトの『魔笛』を考える旅日記……。何気ないメモと、ふとした雑感が小説の土台に据えられてゆく。創作の臨場感あふれる“清張ノート”。」

 「雑記帳」「備忘録」なのだ。ところが、その乱雑に置かれてる記録のひとつひとつが、実に奥の深い記述であり、読む者をとりこにする。

 その、(記載順に)昭和56年3月3日(火)、昭和48年4月15日(日)、16日(月)付け「民族学の衰退。イランの拝火神殿跡。モッツアルトの『魔笛』」という項に16ページに亘って記されている。

DVD『魔笛』 (上)1976:ゲルト・バーナー指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団ライプツィヒ歌劇場オペラ合唱団、ザラストロ(ヘルマン・クリスティアン・ポルスター)。1976年収録、DVDは2998年ドリームライフから発売。

 「どのモーツァルト評伝をみても、『魔笛』論を読んでもそんなこと(=魔笛のテーマがゾロアスター教から採り入れたこと)にはほとんど触れてない。ぜんぶフリーメイソンが主題だと述べている」。さらにいくつかのモーツァルト専門解説書を挙げて、「正面から言及しないのは不思議である」としている。「音楽にはまったく不案内なわたしだが」としながら、いささか自慢気味である。

 たしかに、拙稿「題名のない音楽会」から中東問題を探る、で紹介した「ドヴォルザーク」 など、筆者が常々感心してる音楽解説サイトLiberaria Musicにも「フリーメイソンと『魔笛』」は解説されているがゾロアスター教との関係は言及されていない。

 以上、筆者も清張にあやかってちょっぴり自慢気味に、ご紹介した次第。

 

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