2009/12/25 記
朝もやに迎える日の出(北茨城市五浦海岸にて)。
年末の連休の間(はざま)。 夜明け。
朝かすみの中、岸壁の下に、ひそかにたたずむ、朱色の小さなガゼボー(見晴らし台)。
穏やかな太平洋の水平線のかなたの日の出を迎えている。(23,24日)
明治・大正期の美術運動の指導者岡倉天心(1863-1913)の「六角堂」だ。
小さいころから英語を学び、ボストン美術館中国・日本美術部長として往復、さらにはインドのタゴールとの交友も知られる波瀾の人生。
北茨城の五浦(いづら)に「美術道場」を作り、橋本雅邦、横山大観、下村観山、菱田春草らの画家をも育てた。
英文著作『The Book of Tea(茶の本)』を昔読んだ覚えがある。
他方、過激な思想、天衣無縫な行動に加えて数々の艶聞。
まあ、芸術家というのはそういうものかもしれない。
その天心のこころの憩いの場であり、意気発揚の場がこの六角堂だった。変形の畳の間から大海原をみる。
筆者の長年の夢は、これにあやかり、こういうあずまやにパソコンを持ち込み、大海原を見ながら仕事をすること。 その横には一升瓶もおいて−−−。
「誰が食べるものを作り、運ぶのですか?」というのが傍らの家内の鋭い質問だ。
関連拙稿:
ボストン緑茶事件
【第93回】 ボストン・緑茶事件 - 浜地道雄の「異目異耳」
関連サイト:
五浦六角堂
http://www.adnet.jp/nikkei/kindai/44/