浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第238回】 12月14日、赤穂浪士討ち入り

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細川邸跡開放

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大石ら切腹の台座

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大石内蔵助切腹の図

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平素の細川邸跡



元禄15年12月14日(1703年1月30日)は赤穂浪士が吉良邸に討ち入りを果たした日。うち、17人が切腹した旧熊本藩細川家の下屋敷跡。赤穂義士らが眠る泉岳寺から北に数百メートル離れた場所。

普段は閉鎖されてるが、この日は公開された。(筆者は近隣在とて、ともかく、現地を視察した)

「中央義士会」の絵図や屋敷図などの資料を添えての説明を受けた。

大石内蔵助らが切腹したとされる場所には石が置かれており、義士の最期の場所が分かる。