浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第39回】 All Japanese でTranslate


2012年02月16日

 

 

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映画「Lost in Translation

It’s all Greek to me. 「それは私にとってギリシャ語だ」と言っても 何のことか分からない。無理もない。
シェークスピアの戯曲 「ジュリアス・シーザー」 の中で陰謀加担者Caskaが使ったこの言葉は、要するにチンプンカンプンだということだ。

地図で、ギリシャの上はアルバニアだ。独裁者ホッジャが宗教をアヘンとして憲法で禁じたというこの「鎖国の国」にどうしても行きたかった。人の心を規制できるのか?

その疑問をこの目で確かめるべく、ビザの取り方もわからないまま、エイヤッとブダペスト発ティラナ行き飛行機に飛び乗ったのは1996年末、音楽のふるさと東欧を家内と流浪の途中だった。
ねずみ講暴動の二週間前、いくつかの街を訪れ、地元の人との会話を試みたが、It’s all Albanian to us.チンプンカンプン。先入観として英語あるいはドイツ語でもいけるかと思っていたが通じない。その時の異邦感は忘れられない。

ところが、若者と話すと何とイタリア語が通じる。昔かじったという家内の出番だった。なぜイタリア語か? 地味で退屈な国営TV番組より、アドリア海の向こうから飛んでくる楽しく色彩ゆたかなイタリア番組の影響だということがわかった。言葉の習得には楽しさや好奇心が有効だと実感したものだ。

異国のチンプンカンプンの中での不安感を描いた米映画のタイトルはLost in Translation(2003)。直訳「『翻訳』で迷う(or 夢中になる)」では意味不明。
ここでのTranslationは翻訳不可能だ。It does not bear translation. だから、日本語タイトルも「ロスト・イン・トランスレーション」とカタカナ。

内容は、来日した俳優ボブと同じホテルに泊まり合わせた新婚シャーロットは写真家の夫が仕事に忙しく、ボブと同様に孤独だった。二人はホテル内で顔を合わせるうちに親しくなっていくというプラトニックな話だ。

環境が日本語という異言語、それも新宿の喧騒が一種のBGMでいっそうの 不安感、異邦感にかられ、lost=気持ちが安定しないということだ。 シェークスピアをもじればIt’s all Japanese to them!

Translateは日本語で「翻訳」だが「通訳」はInterpret。前者は書き言葉(秘書言語)=書く、読む、で後者は音声(口頭)言語=聞く、話す、と案外はっきり区別されているが、英語の語源からするとそれほど厳密ではない。

Trans(=across) は「移す」で、latum(ラテン語)はbring (持ってくる)、bear (運ぶ)。Inter-pretではpret=priceとか、「売り手と買い手の間で斡旋する」という説明すらある。
TranslationもInterpretationどちらもコンピュータ用語と なってるが、必ずしも「ことばの翻訳・通訳」ではなく、「移動、移行」という意味だ。

同時通訳の草分けMMこと村松増美さんは「通訳を目指す人には翻訳も手がけ、翻訳を目指す人には通訳も手がけるよう」薦めるとのこと。なぜなら通訳は瞬間的なものゆえどうしても言葉が荒れがち。対して翻訳には丁寧さと同時に瞬発力の育成も大事とのこと。

映画の最後の別れの場面で二人は共通言語=英語でささやき、うなずく。
まさに、Translation感情移入がなりなった瞬間で胸がジーンとする。
ここではCommunicationとほぼ同義語といえる。

(社)日本在外企業協会 「グローバル経営」より転載・加筆

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