浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

  【第212回】 「イラク侵略満三年」―市民記者の主張

 

 

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勝利なき戦い」への疑問アピール

 



 

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「ダンスの楽しみ」、男、男、男。(サウディ・アラビア)



2006/03/22

イラク戦争は「異文化国家との勝利なき戦い」。彼らにとってコーランも戦いも文化であり、腕力で押し付けられる「民主化」は成立しない。

 

米国主導によるイラク侵略開始から3年経った19日、イラク暫定政府のアラウィ前首相は英BBC放送との会見で「われわれは内戦下にある」と明言し、現在のイラクが治安の安定から程遠い状況であることを認めた。当初の「早期決戦」の見込みは完全に外れた。

 右(写真上)は侵攻開始直後の2003年3月22日付け、産経新聞上での「異文化国家との勝利なき戦い」に突入したブッシュ米大統領、ブレア英首相、追随する小泉純一郎首相の認識を非とする筆者の「アピール」である。

 唯一神アラーの言葉を絶対生活訓とする中東イスラム世界では基本的に部族長制度、男優位の世界であり(右写真中)、ブッシュ大統領らの強弁する(西欧型)「民主化」、即ち、「一般選挙」「多数決」は成立しない。

 「この世での苦労があの世での楽園につながる」とコーラン(聖クルアーン)は教え、「挑まれた戦いには堂々と立ち向かえ」(2牝牛186節)とも命じている。

 それは文化であり、卑近な例で、お袋の味、故郷(ふるさと)のなまり、お祭り、お宮参り、法事、四季折々の行事、冠婚葬祭。 或いはアラビアでの男だけのダンス。

 人生の楽しさ、哀しさ、肌に沁みた生活。それぞれの価値観、習慣を他者が腕力をもって変えることができようか?
文化(文明でなく)の衝突―勝てない戦い―(浜地道雄)

 歴史作家司馬遼太郎は、文明を「普遍的」とし、文化は「むしろ不合理で非普遍的なもの」と定義し、「日本でいうと婦人がふすまをあけるとき、両膝をつき両手で開ける
ようなもの。立って開けてもいい、という合理主義はここでは成立しない。不合理さこそ文化の発光物質ゆえ、美しく、安堵感をもたらす」としている。(「アメリカ素描」:読売新聞社

 3月11日の「JanJan第3回市民記者交流会」における、竹内謙社長の「JanJanは影響力のあるメディアを目指す」との挨拶に同感する。そこでの論議を通して、筆者は、「対価を目的とせず」、「実名で」、ジャーナリストの原点である「社会の木鐸」たる市民記者でありたいと意思表明をした。(意見板)
第3回市民記者交流会の報告

 ゆえに、今ここに、「勝てない戦い」への参戦の非を改めてアピールする。
文化の衝突――「勝てない戦い」からは、直ちに撤兵を求めたい

 何度でも、何度でも―――。