浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第7回】 Phone(音声)の難しさ、楽しさ

 

2007年7月2日

 

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Phonics (松香)

ニューヨークに赴任して聞もない頃、当時小学生だった二女が、私の Japan という発音を笑う。こっそり辞書で発音記号を見ると Jap(ae)n とある。なるほど、(自称)国際ビジネスマンの私の発音は30年来 Jap(A)nであった。アメリカに来て半年の生活で、おかしいと思うのだから、いやはや子どもは言葉の天才。そして、付け加えてくれた。「でも、お父さんは私よりも沢山いろんなことを知ってるからお仕事もできるんだね」。一本も二本もとられたことは忘れられない。

実際、言葉の phoneme (音素) は前号で述べた子音だけでなく、母音がまた厄介。「bat = 打棒、編幅、but = しかし」、「code = 規定、cord = 細綱、chord = 和音」、「cat = 猫、cut = 切る」、「some = 何か、sum = 合計」、「luck = 運、lack = 不足」、「son = 息子、sun = 太陽」など枚挙に暇がない。pat = ゴルフのパットもこれかと思ったら、putt = (A)と違う言葉。こんな極々普通の言葉がこれだから深刻に考えると神経症になってしまうが、ビジネス用語ではちょっと注意を要する。

マンハッタンからコネチカットのわが家までの通勤列車は New Haven Line だった。ふとHaven を辞書で調べると「避難所」とある。そこで、われわれがしばしば使うタックスヘブンが「税金天国 Heaven」ではなく「税金避難所 = ヘイブン = Haven」であることに初めて気がつく。お互い、同じことを話してるつもりが実は違うものだ、というケースは要注意。

お金のことを言えば、そもそもドル Dollarアメリカ人は buck つまり鹿皮と言う。その昔、インディアンとの取引にあたって鹿皮を使ったのが語源らしい。その鹿皮は buckskin とある。え! back skin 裏革ではないのだ、とここでも驚かされる。

タクシーを降りるときに、「1ドルお釣をくれ」ということで、試しに「Give me a buck back」と使ってみたら、何とか通じた。ことほど左様に、Phone (音声) は難しいが、楽しくもある。

1994年7月のナポリ・サミットのことを報じたニューヨークタイムズ紙の見出しは「He came, he saw, he conk-out」。conk-out を辞書でみると「卒倒する」とある。時の村山富市首相が夕食会中に倒れたことをさしている。要するに、ジュリアス・シーザーがローマ (元老院) に送ったラテン語Veni, Vidi, Vici」、英語で「I came, I saw, I conquered」の語呂あわせなのだ。とても歯が立たないと思いながらもconk-outconqueredを口の中でつぶやいていると、そのおかしさがこみ上げてくる。一流紙に「駄酒落」を掲げるというユーモアである。でも、これを駄酒落と言ってはいけない。詩歌でもっとも大切な「韻 = rhyme」なのだ。例えば、Your eyes are blue. Your heart is true. などと、美しく響く。「日本の方言」研究家、故平山輝男博士の言葉、「言語は音声です。音声言語が言語です」の意味は深い。

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ジョン万次郎教本 レプリカ(神田外語)

いつも思うのが「掘った芋いじるな!」この優れた耳の持ち主の言葉を繰り返していると、自然に「What time is it now?」と聞こえ出すからおかしい。この楽しさは150年前の中浜 (ジョン) 万次郎の単語集にも通じる。コール (寒)、サンレイ (日曜)、ニュウョウ (NY)、ナイ (夜)、モラネン (朝)、イヴネン (宵)、ウィンダ (冬)、ウエシッ (西)、ゲイ (門)、ネ ()

JOEA 「月刊グローバル経営:Global Business English File 2」より転載・加筆