浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第37回】 TPPで、英語力不足がやり玉に?


2011年12月08日

 

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国を二分するTPP論議において、貿易・関税と並び、「非関税障壁」ということで、日本の英語力不足が「やり玉」に上がる、という言説を知り、驚いた。結果、日本が米国の属国的「フィリッピン化」する、という論も見られる。

つまり、ハゲタカ米国が「日本語が非関税障壁だから、英語を公用語化せよ、との要求をしてくる可能性がある」というもの。英語教育に従事する者としても、「ことば=文化の変更強制外圧」は看過できない。

早速、挙げられている21分野にそれがあるのか点検したが、見当たらず、要は「英語強要説」は、反対論者の「(可能性)想像」であることが判明した。

さらに、反対論にはこの「非関税障壁を撤廃しないなら、ISD = Investor-State Disputeに提訴され、膨大な賠償金を取られる」との言説もあり、これまた驚き、点検した。しかし、ISDは「当該国における不当=差別=により、進出外資が蒙った損害(=金額)」についての提訴である。訴える側はその金額の正当性を法的に、論理的に証明せねばならない。営利企業である以上、その勝算をコスト・パフォーマンス(=いくらかかり、いくらかけたら、いくら得られるか)として経営判断をせねばならない。

「日本人が英語ができないことにより、xxxxドル(円)の損害を受けた」とコストをかけて訴える(外資系)企業があろうか?

TPP賛否の大論争は、放射能の(見えない)危険性論議と酷似しており、「可能性」の問題である。その危険性について「専門家」の賛否両論が百出、議論百出。我々市民はどう判断してよいかわからない。

もっとも重要なキーワード「安全で安心な生活、社会」ということばがメディアで盛んに使われているが、きちっと整理せねばならない。
広辞苑によれば安心:心配・不安がなくて、こころが安らぐこと。また、安らかなこと。
同じく、安全:安らかで危険のないこと。平穏無事とあり、同様だ。しかし、派生語が多々あり、例えば「安全係数」「安全率」のごとく、安心の「こころ」というより、数値化が可能な理論上のことと言える。

例えば、防御堅固で豪華な家に住み、十分な資産があって、人生悠々と思える生活であっても、「安心」ではないと思う人も少なくなかろう。

「格差」が問題になっているが、ビジネスマンとして世界を観察してきた目には、日本ほど平均して(物質的に)豊かで、安全な国はない。ことほど左様に「安心」とは、すぐれて人のこころの内面の問題だ。

さて、その「安心」を揺るがす「危険性」への懸念。
1)ほぼ確実に起こる可能性、
2)確実でないが警戒すべき可能性、
3)否定はできないが警戒するほどでない可能性、
4)現実的にあり得ない可能性。
5)絶対にない可能性。
と段階があろう。

4)5)については、しかし、神ならぬ身、「想定外」、つまり我々人間に出る幕はない。
参照:【第32回】 Force Majeure:偉大な力 - 浜地道雄の「異目異耳」



「Globalizationこそ諸悪の根源」とする「識者」もいて驚かされるが、いずれにしてもTPPがあろうがなかろうが、日本が貿易立国である以上、「(仕事で)使える英語力」の向上は避けて通れない。

以上、拙稿「TPP賛否論、再点検」より、抜粋、加筆。


■ 関連サイト
「仕事で使える英語」への提言(前) Globish®(Global English)
「仕事で使える英語」への提言(後) スピーキングテストVersant®