浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第64回】 パルムの焼印(Brand)


2014年07月01日

 

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パルムの焼印

「赤字か黒字か」はビジネスにとって究極の課題だが、フランスの文豪スタンダールの小説「赤と黒」は野心に満ちた青年の悲劇。赤は軍服、黒が法衣という当時の社会情勢のシンボル化Metaphorだ。これはまだわかり易いが、同じスタンダールの「パルムの僧院La Chartreuse de Parme」(1839)はわからない。パルムとはフランス語読みで、イタリア語ではパルマ

ナポレオン時代、若いイタリア人貴族のパルマ公国での不運な物語。ところが実際にはこの僧院のことは最後の一ページに出てくるだけだからおかしい。

とまれ、その初めての地パルマで、タクシーの運転手がラジオに合わせて歌い出した。ベルディのオペラ「ナブッコNabucodonosor(原題)」の中の有名な合唱曲「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」Va, pensiero, sull'ali dorateである。
旧約聖書の「出エジプト記Exodus」で、ネブカドネザル王による「バビロン捕囚Babylonian Captivity」にあったヘブライ人たちが、ユーフラテス河畔で祖国への想いを歌う。筆者もつられて、このイタリアの第二の国歌とも言われている名曲を二人で大きな声で歌い、いい気持になったものだ。
イタリア語は「ドレミ」「アンダンテ」「ピアノ」など多くの音楽用語でおなじみ。その音楽の国で、就中パルマ市は往年の名指揮者トスカニーニの生地で、音楽の街なのだ。
かくて、パルマ市でビジネスの良いスタートだった。

そこでのビジネスとは「輸入促進」。伝統的輸出国日本はその頃、大幅貿易黒字を各国から非難され、国はJETROを中心に輸入促進を開始した。Japan Export Trade Promotion Agencyで発足したのが、Japan External Trade Organizationへと改称したのは先を読んでたのかと妙に感心したものだ。

「何か輸入するものはないか」と上司からの命で考えていた時、偶然知ったのがBC100年からの記録があるイタリアの美食Prosciutto。「乾かしたもの」の意味でいわゆるハムをさすが、後(うしろ)にCrudoとつけて「生ハム」という。英語の語彙の70%はラテン語ロマンス語)から派生とも言われてるが、なるほどCrude Oil(原油)のとおり「未加工」なのだ。
豚の腿肉を燻製にせず、乾燥室内で1年半もの間熟成させて作る。熟成により、添加物などなくとも独特の豊かな風味を持ってくる。
が、Crudo(加熱してない)であるがゆえに、当時欧州で流行のFoot & Mouth Disease (口蹄病)のせいで日本では輸入禁止となっていた。

そこで、音楽の旅という「下心」も働いて、生ハムの中心生産地に足を踏み入れたわけだ。パルマ市内の人口一万も行かぬ小さな地域で厳格な品質管理下にあったものにのみ、王冠マークのBrandが許される。
Brandとは「家畜への焼印」。Brander というノルウェーのノルド語から派生したとのこと。Brand-new も「焼印を押したばかりの」が原義である。なるほど「品質保証」の価値が実感される。

帰国後、早速農林省(当時)の協力も得ての「安全性確保」の実証手続きは骨が折れ、3年ほどかけての仕事だった。ナポリサミット(1994年)を前に、やっと解禁となった。

一般社団法人日本在外企業協会「月刊グロ―バル経営」(2014年6月号)より転載・加筆。

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