浜地道雄の「異目異耳」

異文化理解とは、お互いに異なるということを理解しよう、ということです。

【第202回】 桜に見る「日米友好」

 

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出所:nippon.com

 

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横浜元町にある

「シドモアの桜」牌

春。桜。美しい日本の象徴。 

(広辞苑でも)古来、花王と称され、わが国花とし、古くは「花」といえば桜を指した。

花見とは花(おもに桜)を見てあそびたのしむこと=花逍遥。とある。

何とも優雅な表現だが、中々英語にはしにくい。 

ましてや詩となると難しい。

「世の中にたえて桜のなかりせば
春のこころはのどけからまし(在原業平)」

If there were no cherry blossoms in the world,
My mind, in spring, should be calm. (拙訳).  

花見は日本の風習だと思いがちだが、実は海を越えて、米国の首都ワシントンDC、ポトマック河畔でも咲き誇り、「桜祭り」(3月最後の土曜日から2週間)には毎年70万人以上が参加する。 

それには100年の歴史があり、動いたのは小村寿太郎外相の依頼を受けた当時の東京市長尾崎行雄だが、最初は防疫検査を通過できず、失敗。 

やり直して、一年以上かけて育てられた苗木3020本は1912年2月に横浜を立ち、ワシントンに到着。長期の航海にもかかわらず、病害虫に侵された桜が一本も見つからなかったことに、米側検疫官は感嘆したという。

同年3月27日に記念植樹が行われ、ヘレン・タフト第27代大統領夫人が出席した。タフト夫人はそれに先立つ1903年に日本を訪れ、荒川沿いの桜並木を見て、桜の美しさに心を奪われたといわれ、埋め立て工事が始まったばかりで殺風景だったポトマック川周辺地に、優雅な桜を植えたいと考えていた。 

その実現に寄与したのがアドレナリンの発見者である高峰譲吉博士である。三共(現在の第一三共)製薬の社長であった。

ちなみに、同博士は妻キャロラインとともに、NYC北部のWoodlawn墓地に眠っている。また、その近くにはアフリカのガーナで自らの研究高熱病に倒れた野口英世も妻メアリーとともに眠っている。 

このNYCに眠る日本人とは逆に、同じく桜に貢献した米国人、シドモア女史は日本に眠る(横浜外人墓地)。

紀行作家で写真家、National Geographic協会初の女性理事でもあるエリザ・シドモアは1884年明治17年)、日本を訪れた際、向島の桜の美しさに魅せられた。

当時ニューヨークの総領事だった水野幸吉は1909年4月にワシントンへ出張したとき、シドモア女史と、ワシントンに偶然に滞在していたニューヨークにおける日本人社会のリーダー的存在であった高峰譲吉と3人で話す機会があった。

移民排斥などでアメリカ人の反日感情の高まりを懸念していたこともあり、日本政府への桜の移植を強く働きかけることとなった。 

それに先立ち、やはり、日本の桜の美しさに魅了されたのが、植物学者のデイビッド・フェアチャイルド

1906年、横浜から125本の桜の木を輸入し、東洋の木がアメリカの地に根づくかを試し、見事に開花し、桜がワシントンに植えるのに適した木であることを確認し、シドモアらの桜並木の計画の後押しをした。 

人生も、ビジネスも時には失敗するが、そしたら、再度挑戦だ。Make second bite of the cherry(さくらんぼをもう一度かじってみよう。なるほどおいしい)。

前述のごとく、桜の移送の最初の試み(1910年1月2000本の苗木)はワシントン到着時、防疫検査を通過できずすべて焼却され、失敗だった。

これにめげず、尾崎行雄らは東京荒川堤で採取の桜を穂木として、兵庫県伊丹市の台木に健康な苗木を作りあげた。そして、再挑戦の結果、the cherry on the cake 幸運にも成功し、現在の成果に至った次第。

Life is just a bowl of cherries!人生は楽しいことでいっぱいだ。ビジネスもそうありたい。

美空ひばりも歌ってる(1963)!!   https://www.uta-net.com/song/165727/

 

 

社団法人「在外企業協会」、月刊グローバル経営2017年4月号より転載、加筆 

 

関連拙稿:

【第50回】 Springに思う「ワシントンの春」と「アラブの春」 - 浜地道雄の「異目異耳」

【第152回】マンハッタン北に眠る野口英世と妻メアリー - 浜地道雄の「異目異耳」

 

 

 

 

【第201回】高輪ゲートウエイ駅近くの遺構

 

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高輪大木戸

 

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高輪大木戸跡 (新駅が見える)

 

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高縄鉄道(鉄道博物館錦絵)

 

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新駅(田町側から)

 

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新駅(品川側から)

 

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工事中の新駅(手前が旧路線)


JR東の新駅、高輪ゲートウエイ駅は2020年3月14日、暫定開業。

本開業は2024年の予定。

 

Gatewayとは即ち「江戸への出入り関所=大木戸」。

近くの、国道二号線(第一京浜)に残る大木戸跡。

 

また、そこに古跡・鉄道遺構「高輪築堤」。

先人、先達の誇った技術。

 

写真撮影:浜地 

 

The first-in-Japan railway bank found:1872年(明治5)

Nearby is the Gateway to Edo/Tokyo: 1710年(宝永7)

 

参照:東京新聞 連載 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/79779

https://www.tokyo-np.co.jp/article/78975

https://www.tokyo-np.co.jp/article/78864

https://www.tokyo-np.co.jp/article/69843

https://www.tokyo-np.co.jp/article/69849

https://www.tokyo-np.co.jp/article_photo/list...

【第200回】3月8日 国際女性デーInternational Women’s Day

 

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March 8, 1931, Sunday: The Detroit News

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女性参政権請求運動へのポスター作り!

 

 

さあ、3月8日。国際女性デーだ。

(ネット)会議やマーチが計画されている。 

中国では法律で、この日、女性は午後休とのこと。

と、始めたところで、実は筆者の無知を曝さねばならない。

 

一昨年2019年9月、次男夫婦を米ミシガンに訪ねた時のこと。

かのヘンリー・フォード博物館で往年の繁栄ぶりに圧倒された反面、大統領選の前、トランプ再選へのバックとも言われたRust Belt(錆びた地帯)を訪問し、マイケル・ムーア監督の出身地Flintも行き、その自動車産業の衰退ぶりを目の当たりにした。 

そして、デトロイト飛行場近くのショッピングモールでふと目にしたのが飾ってあるDetroit新聞だ(額縁入り)。アル・カポネや閲兵のマッカサー元帥、テニスをするグスタフ・スエーデン国王の写真にまざり、なぜか右下には日本人と思しき女性の集まり。

「仏教婦人協会が参政権を主張」とある。思わず、パチリ。 

JAPANESE WOMEN CAMPAIGN FOR CIVIC RIGHTS.

A vigorous battle of ballots is being conducted in the land of the Mikado for the enhancement of the law giving the women the same legal standing as men in all affairs of state.

Here are members of the Buddhist Women’s Association in a temple at Tokio lettering posters to be used to bring the bill to the attention of the public.

 

その日付が(1931年)3月8日とある。昭和6年

The Detroit News 

THE HOME NEWSPAPER

SUNDAY MARCH 8, 1931

正直、その時は気が付かなかったのだが、この日は国際女性デーだ。

が、さて、調べると国連が「国際女性デー(International Women’s Day)」と制定したのは1975年。時が合わないー。

他方、さらに調べると、その原点は1904年、ニューヨークでの婦人参政権を求めたデモとのこと。 なるほど(知らなかった)--。

日本では、1931年、婦人参政権を条件付で認める法案が衆議院を通過するが、貴族院の反対で廃案に追い込まれた。 その後、市川房枝らの努力の結果、1945年10月10日幣原内閣で婦人参政権に関する閣議決定がなされた、とのこと。

ということで、頭記のThe Detroit紙の日付3月8日が「国際女性デー」と関係があるのか、はたまた偶然なのかー。

いずれにしても、Gender(男女平等)が厳しく話題になってる現下の情勢の行方を(我々オヤジ=男性Seniorを筆頭に)理解し、注視せねばならない。

これよりして、ウイメンズマーチ東京による伊藤セツ女史の講演は傾聴に値する。

国際女性デーをめぐるストーリー(セミナー報告) – ウィメンズマーチ東京2021

 

参考:

国際女性デー 2021年国際女性デーのテーマ「リーダーシップを発揮する女性たち:コロナ禍の世界で平等な未来を実現する」 | 認定NPO法人 国連ウィメン日本協会 | 国連ウィメン日本協会は皆さまのご寄付をUN Womenに届け、UN Womenが世界に展開するプロジェクトを支援しています

アクション > ウィメンズマーチ東京2021 3月8日の国際女性デーに | ウィメンズアクションネットワーク Women's Action Network

 

 

 

 

【第199回】JANJAN過去記事から(1)トイレット・ペーパ騒

 

2011年3月19日

 

JANJAN過去記事から(1)

過剰報道こそ危機管理の敵 冷静さ忘れずに

 

(現在、JANJANのリンクが現在できず、復旧を心待ちしてますが、その間、今回の地震津波原発事故に関連して、蓄積してあった過去記事を再現します) 

http://www.news.janjan.jp/media/0507/0507139533/1.php

浜地道雄2005/07/14

 

ロンドンテロなどに関する一連の過剰報道は、1973年秋の「トイレット・ペーパー騒ぎ」を彷彿させる。国益を損ねたあの騒ぎを風化させてはなるまい。  

右上は何でもない、というより下らないトイレット・ペーパーの写真。これが、日本国中の大騒ぎとなった元凶で、石油価格上昇にも「貢献」したものだ。それを煽ったのがマスコミの過剰報道で、そして、それに乗ったのが庶民であった。  

今般のロンドンでのテロ事件に関連して東堂一記者が、「4年前の恐怖が蘇る」「またテロの恐怖に世界が震えた」などの煽情的な見出しに言及して、的確な「テロとマスコミ」論を書いている。筆者も先般の上海反日デモ報道に関連して、実地の体感をお伝えした。  

一連の過剰報道は、1973年秋の「トイレット・ペーパー騒ぎ」を彷彿させる。  

同年春、筆者が商社の石油マンとしてテヘランに駐在したとたんに第3次中東戦争が勃発。それを機にOPEC(産油国連合)は原油の競売作戦をとった。日本勢同士の値上げ合戦となり、バレル当り2ドルだった価格が一挙に4倍にも達する勢いであった。いわゆる「第1次オイル・ショック」だった。 

その前年、「日章丸以来の快挙」と評価された世界で初めての長期DD(Direct Deal)契約が、逆に足かせになり事態は最悪となった。筆者は結局左遷となり、「新婚でこの地に赴任。骨を埋めるつもりであったのに残念」と石油公社総裁に別れの挨拶をした。  

医者でもある温厚な紳士のその時の言葉は痛烈であった。「OPECとしてはこの値上作戦に自信はなかった。しかし、日本が騒いでくれたお陰で大成功した。日本は影響力のある大国である」――絶句!  

トイレット・ペーパーなんかなくても生活できる。中東国民の心の故郷は砂漠(右写真下:ドウバイ博物館での人形)。そこでは左手(不浄の手)で砂漠の砂、水を使ってよっぽど衛生的にやっている。  

騒げば騒ぐほど相手の思う壺。メディアの過剰報道とそれに煽られる国民。国益を損ねたあの騒ぎを風化させてはなるまい。 

「危機管理」という言葉がはやっているが、そもそも危機って管理できるのだろうか? できるのは平素の心構えと発生後の対応。いずれの場合も「冷静沈着」が最高の対策である。  

※トイレット・ペーパー騒動については元NHKの秋山久氏の報告にまとまっている。

https://web.archive.org/web/20050227140501/http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no80.htm

  

関連拙稿:

http://www.janjanblog.com/archives/34097

http://www.janjanblog.com/archives/34228

【第198回】バーンスタイン没後20周年に向けて(下) 混迷社会へのアピール

 

2009年12月28日

 

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バーンスタイン・NYフィルの「ヒストリック・テレビジョン・スペシャル」

前回記事:

【第197回】バーンスタイン没後20周年に向けて(上) 音楽映像のリリース - 浜地道雄の「異目異耳」

 

今日、中東問題を含めて世界は混迷状態。  

本稿の主意は音楽ではあるが、バーンスタインの様々の社会発言と実践にならい、関連映像に言及しないわけにはいかない。  

そこに、20年後の今、我々が学ぶべき教訓を見ることができる。

 

1)まず、添付、LPジャケット(CBS-SONY No: SOCO-46)と手塚治虫のコミックと見比べて、その精密な描写に驚かされる。

1973年1月、ベトナム戦争で疲弊していた時期のニクソン大統領の就任式のケネディー・センターにおける前夜祝賀演奏で、オーマンデイ指揮のもとフィラデルフィア管弦楽団が選んだのが戦争(勝利)を鼓舞するチャイコフスキーの「1812年」。  

片や、ワシントン大聖堂ではバーンスタインと有志で平和を祈るハイドンの「戦時のミサ」の無料演奏会がおこなわれた。大聖堂はいっぱいで(雨にも関わらず、外には12,000人)、その様子は1月19日付け、ニューヨークタイムズで「Concert Reflects Moods Of Divided Washington ワシントンの二つに割れたムードを反映した演奏会」(Lind Carlton記者)として取り上げられた。  

そして、これにもとづき、何と音楽ファンでもあった(故)手塚治虫が驚くほど忠実なコミックを「雨の日のコンダクター」として残している。

静岡本店クラシック売場のブログ ハイドン+バーンスタイン+手塚治虫=「雨のコンダクター」

2)モスクワでの番組では、作曲家ショスタコーヴィッチが観客にいたことは前述したが、その最後に作家・詩人ボリス・パステルナークが楽屋に訪ねてきた場面がある。

パステルナークをバーンスタインはモスクワ郊外に訪ねて長時間話したよし。  

これはパステルナークが、ロシア革命を非難する「ドクトル・ジバゴ」を書いて隠棲生活を強いられていただけに特記に値いする。  

 

そこでのバーンスタインの語り口はこうだ。  

「我々が戦争に加担しなければ世界は変わるでしょう」  

「エネルギーや富を戦いに浪費する代わりに(中略)学び、語り、愛し合うことができるのです」  

そして、「私たち音楽使節の活動が両国の未来へ貢献できたら幸いです」とプログラムを締めくくっている。

 

3)番組のスポンサーはフォード財団で、プログラム中に「コマーシャル」が含まれるが、自動車の宣伝ではなく、弁護士ウエルチによる「アメリカ人へのメッセージ」だ。  

同弁護士が1954年6月、「過剰赤狩り」についての公聴会でのマッカーシー議員を論破したことは駐日米国大使館のサイトにも出ている。

写真で見る米国史

http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-ushist19.html  

 

アメリカ建国の地フィラデルフィアの独立記念館のひびの入ったLiberty Bell(自由の鐘)の傍らから、1776年の独立宣言を引用して国民に「国への貢献」を呼び掛けている。  

「人は平等に造られており、造物主から天賦の権利を付与されている」として、「その権利を確保するための政府機関=国への貢献」を呼び掛けている。  

これが自動車会社の「コマーシャル」なのだ。  

この公聴会は国民へのTV中継の幕開けであった。  

 

さあ、もうすぐ2010年。  

「天賦の平等」精神は、このGlobal化の進んだ今、ひとりアメリカ合衆国のエゴのためだけであってはならない。

 

オスロで、オバマ大統領は「愚挙」についてどう語るのか?

http://janjan.voicejapan.org/world/0912/0912033966/1.php

平野官房長官が「憲法違反」を支持   

http://janjan.voicejapan.org/media/0911/0911213444/1.php

 

来る年は、ユメユメ「戦争の年」であってはならない--。  

バーンスタインの言葉を借りれば、「我々が戦争に加担しなければ世界は変わるでしょう」